なべさんぽ

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『頭がいい』ことはよいことか?ー『矛盾』について-

12月に入り急激に寒くなりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?体調を崩さないよう暖かい服装をしてくださいね。

 私は塾講師をしておりますが、二学期は中学生に古文漢文を教える機会が多く、今年もそうです。今回は漢文の授業で扱う故事成語『矛盾』を題材に

『頭がいい』ことはよいことか?
についてお話したいと思います。

 『矛盾』は古代中国の思想家である韓非が書いたお話です。ご存じの方も多いかと思いますが、まずはそのお話を以下に載せます。



楚の国の人で盾と矛とを売っている商人がいた。その人は盾を褒めて、
「この盾の堅いことといったら、どんな武器でも貫き通すことができないほどだ」
と言った。また、矛を褒めて、
「この矛の鋭いことといったら、どんなものでも貫き通すほどだ」
と言った。
それを見ていたある人が
「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」
と聞いた。
その商人は答えることができなかった。
(訳は渡辺がしました)




 「矛盾」という故事成語
「つじつまが合わないこと」

「一貫性がないこと」
を意味します。上のお話で言えば
「なんでも防ぐ盾となんでも貫く矛が同時に存在するなんてことはあり得ない」
ということを指して言います。自分の話のつじつまが合わないことを指摘されて武器商人は困ってしまった、これが『矛盾』のお話の面白いところですね。

「つじつまが合わないこと」や「一貫性がないこと」をわかりやすく説明している点において、『矛盾』のお話は優れていると思います。しかしこのお話しは単純でわかりやすいだけに、かえって困った問題を抱えています。


 「なんでも防ぐ盾」と「なんでも貫く矛」は理屈の上では同時に存在できません。「なんでも防ぐ盾」が存在するのなら、あらゆる矛はこの盾によって防がれてしまうことになり、「なんでも貫く矛」は存在しないことになります。反対に「なんでも貫く矛」が存在するのなら、あらゆる盾はこの矛によって貫かれてしまうことになり、「なんでも防ぐ盾」は存在できません。理屈はそうです。しかし、実際に武器・武具が売られる状況を考えると話は変わってきます。
 
 
 まず「なんでも防ぐ盾」や「なんでも貫く矛」なんて現実には存在しないので、上のように理屈で考えることは空理空論です。漫画やゲームやアニメではありませんからね。まあ、「なんでも貫く矛」や「なんでも防ぐ盾」に近い「最強の武器」や「最強の武具」と呼ばれるものは時代時代に存在はするでしょう。「最強の武器」や「最強の武具」は男の子の憧れるところです。しかし、現実の戦闘においてそれらがどれ程の意味を持つかはわかりません。
 
 1対1の決闘なら、武器・武具の強さは勝敗にある程度関わってきますが、「決闘」なんてことをする人たちはみんなお金持ちですから、双方よい武器・武具を使っていてあまり性能に差はないでしょう。勝敗は「使うやつの腕次第」になると思います。また、戦争だったら戦闘は1人の戦士がするものではなく、大勢の兵士が集団で行うものです。人や馬や武器を集めるのにもお金がかかり、戦略や戦術も様々です。少数の強い武器より多数の弱い武器で戦う方が有利なことだってありますから、あまり「最強の武器」「最強の武具」に意味はありません。

 
 だいたい『矛盾』のお話に出てくるのは武器商人で、「商人」は自分の持つ商品を売り込むのが仕事ですから自分の商品をよく言うに決まっています。

「うちの矛が1番いいよ!どこのよりもいいよ!」
と。

「うちの矛は田中商店の矛に比べて弱く、重く、使い勝手が悪い上に高いです。だから皆さん、田中商店の矛を買いましょう」

なんてことを言うバカはいません。自分の商品を悪く言うにしても、同時によいところを挙げて、かえって買い手の信用を得ようとします。

「うちの矛は田中商店の矛に比べたら少し貫く力が弱いですが、丈夫で手入れも簡単で使い勝手がよいです。安く大量生産出来ますから、大勢の兵士を抱えている武将にお勧めです」

というように。
 だから「なんでも防ぐ盾」と「なんでも貫く矛」を言葉通りに捉えるやつがバカなのであって、商人を責めるのはおかしいでしょう。

 
 私は上で『矛盾』の解釈を、
「自分の話のつじつまが合わないことを指摘されて武器商人は困ってしまった、これが『矛盾』のお話の面白いところですね」
とお書きしましたが、これは『矛盾』のお話を「理屈のための理屈」で解釈したものです。『矛盾』のお話は「その商人は答えることができなかった。」で終わっていて、それを「自分の話のつじつまが合わないことを指摘されて商人が困ってしまった」と解釈したわけですが、現実で武器・武具が売られる状況を考えると「理屈のための理屈をこねる世間知らずを前にして、商人は面倒臭くなったから無視した」が妥当な解釈でしょう。


 「頭がよい」ことはそれだけでよいことと考えられがちですが、実は「現実とのつながりを持つ限りにおいて」という条件がついています。それを忘れると理屈のための理屈に陥って、現実を生きている真っ当な人から笑われることになります。頭がよい皆さんにはその事を忘れずに日々をお過ごしいただきたいと存じます。

 今回はこの辺で失礼します。