なべさんぽ

ちょっと横道に逸れて散歩しましょう。

【暴論】ハゲは甘え

 春にしては暑い日が続き、かと思えば寒さが戻ることもあるこの頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?続き物のブログ「『もののけ姫』がわからない」の途中ですが次の記事がなかなか書き上がらないため、つなぎとして「ハゲは甘え」という題の記事をお書きしたいと思います。

 

 私はずいぶん前にインターネット上の掲示板で「ハゲは甘え」という書き込みをたびたび目にすることがありました。その頃の私は「おかしな暴言だ」ぐらいに思っていましたが、最近になって「一理ある」と感じるようになりました。そこで今回はその「一理」を明らかにしようと思います。ある男の演説という形でお書きしますが、なにぶん話題がバカバカしく、やっつけ仕事で完成度も低いので、テキトーに読んでいただきたいと存じます。

 

  1. 講演冒頭
  2. 事件と犯人
  3. 犯行の手口
  4. 犯行動機

 

 

1.講演冒頭

(男が登壇する。一礼すると拍手が起こる)

 皆さん、本日はお忙しいところ本講演にお越しい下さり誠にありがとうございます。本日私はお話ししたいことがたくさんございますが、ご多忙である皆さんを『ハゲは甘え』などというふざけた題の講演に長時間お付き合いさせるわけには参りません(聴衆からかすかな笑いが聞こえる)。手短にお話ししますので、どうか最後までお聞きくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

(男がまた礼をすると拍手が起きる)

 

 さて、話題は「ハゲ」ですが、一般的にハゲたオジサンは劣ったものであり嘲笑の的となる、そういうことになっております。昔からお笑いの世界ではハゲたオジサンをバカにする対象としており、他人からハゲを指摘されては恥ずかしがったり卑屈になったり、反対に怒ったりしてはその反応が面白がられてきました。ところが最近ではハゲたオジサンを嘲笑することはお笑いの世界を越えて世間一般にも浸透し、お笑い芸人気取りの小中学生がハゲたオジサンをバカにし、バカにされたオジサンの方も恥ずかしがったり怒ったりして笑われる、こういったことが起きています。

 皆さんはきっと「ハゲがバカにされるのは当たり前だ」と考えていらっしゃって、何の疑問も感じてはいないでしょう。そしてハゲがバカにされたり笑われたりするのを見たら、皆と一緒になってハゲを嘲笑していることでしょう。

 

 皆さん、いけません!近代社会の市民がそんなことではどうします!皆さんはならず者に騙され、正しき筋をねじ曲げられ、そしてその事に気付かないことでならず者を甘やかしているのです!

(聴衆、ややざわつく)

 

 失敬、いきなりこのように申し上げても皆さんを困惑させるだけでしょう。ひとつひとつ順を追ってご説明いたします。

 

2.事件と犯人

 まず皆さんが知るべきことはハゲは嘘つきであり、皆さんはハゲに騙されているという事実です。

(聴衆、ざわつく。笑いも混じる)

 

 皆さん、皆さん、皆さんは私がふざけているとお考えですね。とんでもない、私は至って真面目です。とにかくまあ、続きを聴いてください。

 皆さんの周囲にはハゲたオジサンがいらっしゃると思います。(数人がキョロキョロする)ああ、この場のことではないですよ、普段、普段の話です。皆さんは日常生活を送るなかで様々なハゲたオジサンをご覧になっていると思います。ご自身の日常を思い浮かべてみて下さい。ご家族やご親族、ご近所さんや道端で見かける知らない人、あるいはテレビやインターネット上の動画サイトで見る映像、はたまた新聞や雑誌の写真、皆さんはいろいろな場所・媒体でハゲたオジサンを目撃したり、お付き合いしたりしていらっしゃるはずです。

 

 ところで、皆さんは日常でハゲたオジサンを目にしたときにどう感じるでしょうか?相手を劣った存在だと感じたり、こいつをバカにしてやろうと考えたり、いちいちそんなことをしているでしょうか?思い出してください、あなたの日常にいるハゲオジサンのことを、そしてそのオジサンを見てあなたが何を感じるのかを。よくです、よーく思い出してみるのです。

 

 おそらく皆さんはハゲたオジサンを目撃したときにはまず「あ、ハゲたオジサンがいる」と思うはずです。そしてそれが知らない他人だったら次の瞬間にはその人のことを忘れてしまうでしょう。それがお店の人だったら「あのハゲた八百屋さんはいい人だな」「あのハゲたレジ打ちは感じが悪いな」「あのハゲた警備員は丁寧に話すな」など、ハゲはただの身体的特徴でしかないでしょう。それが知人だったら「あ、山田さんだ」「あ、佐藤先生だ」「あ、タカシおじちゃんだ」という固有名が思い浮かび、ハゲはもはやどこかへ行ってしまいます。

 

 そう、皆さんはハゲたオジサンを見ていちいちバカにしてはいないし、面白がったりしてはいません。ハゲたオジサンを見たら「あ、ハゲたオジサンがいる」と思うだけです。ハゲはそれ自体では面白くともなんともないのでそれが当然です(聴衆の中のハゲたオジサンたちが何度かうなづく)。それなのに皆さんは先ほど「ハゲがバカにされるのは当たり前だ」という考えに同意し、ハゲが嘲笑されることに何の異議を差し挟むこともしませんでした。皆さんは日常生活においてはハゲたオジサンに対して何も感じないのに、この場では「ハゲたオジサンは劣っていて他人から笑われるものだ」と考えてしまっている。これはおかしくはないでしょうか?(ハゲ以外も何人かうなづく)一方には「ハゲなんかどうでもよい」と考えている皆さんがいて、もう一方には「ハゲたオジサンは劣っていて他人から笑われるものだ」と考えている皆さんがいる。この矛盾は一体何なのでしょうか?

 

 実は皆さんは「ハゲたオジサンは劣っていて他人から笑われるものだ」と思い込まされている、そう、騙されている

 皆さんはハゲなんかちっとも面白くないと思っている。それなのに皆さんがハゲは面白いと思っているのなら、それは錯覚です。皆さんの思考に何者かが介入し、まるで皆さんが自身の感性によってハゲを面白がっているかのような錯覚を引き起こしているのです。

(一同ざわつく、時折クスクス笑う声)

 

 皆さん、もっともです。皆さんが戸惑うのも当然です。なぜと申しますと、まず第一に皆さんには「思考に介入する」などということが可能だとは思わないからです。第二には、仮に思考に介入できる人間がいたとして、その人間が皆さんに「ハゲは面白い」と思い込ませなければならない理由がわからないからです。ごもっともです。一体、誰が、何のためにそんなバカバカしいことをするというのでしょうか?そんなヤツはいない、まともな頭をした皆さんでしたらそう考えるでしょう。

 

 しかし、私は知っている。皆さんの思考に介入した犯人を!犯行の手口を!そして犯行動機を!私は皆さんの前でその犯人を明らかにし、証拠を挙げて追求し、愚行をやめさせる、それを今日のこの講演の目的としたい!

(一同、ざわつく、続いてパラパラと拍手が起きる)

 

 ありがとう、皆さんありがとう…

 さて、探偵もののドラマは通常、犯行の手口、犯人、動機の順に明らかにされるものですが、ことの性質上、まずは犯人の名を明らかにしたい。その犯人はきっと皆さんにとって意外な人物です。皆さんの身近にいて、思考に介入するなどという器用な芸当が出来そうになく、そしてもっともそれをしそうにない人物なのですから。またそれだからこそ今日までバレることなく犯行を続けることが出来たのです。その犯人は、今この場にもいます。皆さん、お教えしましょう、犯人の名を。皆さんに「ハゲは面白い」と思い込ませた人物、それは他ならぬハゲたオジサンその人なのです!

(一同、どよめく、ハゲたオジサンたちが目を円くする)

 

3.犯行の手口

 みなさん、みなさん、お静かに、お静かに、落ち着いてください。皆さんが驚くのももっともで、にわかには私の言葉を信じられないのも当然です。通常、ハゲたオジサンは「ハゲたオジサンは劣っていて他人から笑われるものだ」という考え方によって損を被るものだと考えられています。バカにされて笑われてしまうオジサンたちは被害者であれこそすれ、加害者などではない、こう考えるのが一般的です。しかし、ハゲたオジサンが犯人であるという証拠があります。この証拠は彼らの犯行の手口の中に隠されてます。

 

 私は先ほど「ハゲはそれ自体では面白くともなんともない」と申し上げましたが、ではなぜ皆さんはハゲたオジサンを面白いと思ったのでしょうか?皆さんが「面白い」と思ったのは一体なんだったでしょうか?私はこの講演の冒頭で既にその答えを提出しております。私は冒頭で「ハゲたオジサンは他人からハゲを指摘されては恥ずかしがったり卑屈になったり、反対に怒ったりしてはその反応が面白がられてきました」と申しあげました。そう、皆さんが面白がっていたのはハゲたオジサンの「反応」なのです。そしてこの「恥ずかしがったり卑屈になったり怒ったり」というオジサンの反応には作為があります。

 

 皆さんが「ハゲそれ自体では面白くともなんともない」と考えるように、ハゲたオジサンも「ハゲそれ自体では面白くともなんともない」と考えます。だからハゲを指摘されてバカにされても平気です。ハゲとは若くない証ではありますが、オジサンは年寄りなので、「おいハゲ、お前はもう若くはないんだぞ」と指摘されたところで痛くも痒くもありません。「え、ああ、そうだね」でおしまいです。若さだけに特別な価値を見いだしている人ならいざ知らず、普通のオジサンはむしろ歳を取っていることを誇ります。歳を取っていることは人生経験を積んでいるということであり、他人から頼りにされるということでもあり、それは大人の男としては誇らしいことです。そしてハゲは歳を取っている証であり、また、人生という長い旅路で経験してきた苦労の象徴でもあります。つまり戦場で受けた傷の跡、すなわち「名誉の負傷」であります。ハゲは誇りこそすれ、卑下するものではないのです。

(ハゲたちからため息が漏れる)

 

 それゆえ、ハゲを指摘されて恥ずかしがったり卑屈になったり怒ったりするオジサンの反応は作為的、わざとやっていることなのです。皆さんはこの作為を見抜くことが出来ずにまんまとオジサンたちの策略に嵌まってしまいました。被害者の立場を取って周囲の目をくらまし、気付かれないように人々の思考を誘導する、なんと巧妙で狡猾な手口でしょうか!これが私がハゲは嘘つきと申し上げたゆえんです。皆さん、どうか目を覚まして奴らの張った罠から抜け出して下さい!

(パラパラと拍手)

 

4.犯行動機

 ありがとう、ありがとう。さて、次に皆さんが知るべきこと、それはハゲは卑怯だということです。これは犯行動機に関わってきますから大変重要です。

 

 ここまでの話をお聞きになった皆さんには犯人と犯行の手口をご理解いただけたことと存じます。皆さんに「ハゲは面白い」と思い込ませた犯人はハゲその人であり、ハゲを指摘されたときに作為的な反応を見せることで皆さんの思考に介入していました。ところで、なぜハゲたオジサンはそんなことをせねばならないのでしょうか?理由がわかりません。皆さんも考えてみてください、オジサンがなぜ罪を犯すことになったのかを。お隣の方と話し合っても結構ですよ(聴衆、首を捻ったり、相談したりする)。

 

…はい、どうでしょうか?

 うん、うん、はい、意見が出ました。まず1つ目、他人からバカにされるのが好きだった、これが挙げられます。世の中には他人から嫌な目で見られたり罵倒されるのがたまらなく好きだという人間が一定数います。マゾヒストと言われる人々ですね。マゾヒストの中にハゲがいて、ハゲを口実に罵られようとした、あり得ます。あり得ることです。

 

 他はどうでしょうか?はい、そこのあなた。はい、はい、なるほど、2つ目の意見ですが、どんな形であれ他人からかまってほしかった、こういうことも考えられます。家族や職場であまり他人から相手にされずに寂しさを抱えたオジサンがいる、そんなオジサンの中にハゲがいて、ハゲを指摘された時だけ輝くことができる彼は、ハゲが面白がられるように仕向けた。うん、これもありそうですね。

 

 他にはどうでしょうか?意見のある方はいませんか?…どうやら出尽くしたようですね。

 今挙げられた2つの候補、実はどちらも正解です。いじめられるのが好きなオジサンとかまって欲しがっているオジサンのどちらも存在していて、ハゲを口実にその目的を達成しようとした、犯行動機としては充分です。私は皆さんの慧眼に感服いたします。

 

 ただ、ただですよ、みなさん、皆さんは感性豊かで文学的素養がございますから、今の話だけで犯行動機を理解できるかもしれません。ところが「罵られたい」だとか「かまってほしかった」だとかいった気持ちは一般的には犯行動機とみなされません。善良なる一般市民からしてみれば「ええ、そんな理由でやったのか?」という驚きを引き起こすような言い分で、理解は難しいものです、残念ながら。我々だけがハゲたオジサンの犯行動機を知っているのでは心もとない。もっと多くの方に、善良なる一般市民の方々にハゲたオジサンのことをご理解いただく必要があります。そうしないとオジサンに対する監視の目が社会の隅々に行き渡らず、オジサンの凶行を止めることはできず、今後も犠牲者を出し続けることでしょう。そこで私は「罵られたい」「かまってほしい」という動機の奥に潜む、もっと一般的で普遍的な「真の犯行動機」をお話ししたい。(聴衆、どよめく)

 

 ハゲたオジサンたちを凶行に駆り立てた真の犯行動機、それは「マトモな大人になれていない自分を隠したかった」これです。(ため息を漏らす声が聞こえる)

 

 人には「役割」というものがあります。それは職場でなら一職業人や先輩として、学校でなら生徒や先生として、家庭でならよき父母やよき子供として、地域でならよき隣人として、場所によって異なる様々な役割を求められます。特に年長者である大人は共同体の中心として責任があり、子供や後輩たちから頼られるべき存在です。ですから大人が自分の役割を果たすことが職場・学校・家庭・地域の安定にとって重要です。大人の役割は責任が重く、かなり難しい仕事ではありますが、その仕事を全うしたあかつきに得られるものは人々の尊敬であり、また自らの胸に宿る誇りです。この尊敬と誇りがあるがために大人は大人として自らを成り立たせることが出来るのです。

 

 ところが誰も彼もがうまく大人になれるわけではありません。若者から大人になるべき時期に怖じ気づいて大人の役割から逃げ出してしまう、大人になる必要性のない環境に身をおいているためにずっと若者のままで成長出来ない、大人であることの誇りが感じられないほど貧弱な感性しか持ち合わせていない、様々な原因によって大人になれず歳ばかり取ってしまった、そういった不幸な方々がいます。またあるいは大人としての役割をこなしている方の中でも、周囲からの尊敬が得られず、したがって自分の果たしている役割に誇りを持つことが出来ない、そういった大変気の毒な方もいます。

 

 これら大人になれなかった方々、誇りを持てない方々は、自分の現状に満足していません。それはそうでしょう、誰しも周囲から尊敬され、誇りに満ちた大人になりたいのですから、それが叶わなければ不満です。「それならば誇りを持つための努力をすればよい」皆さんはそうお考えになると思いますが、ことはそう簡単ではありません。彼らは努力したのです。彼らだって足掻いたのです。彼らは努力した上で周囲から敬意を向けられなかった。また彼らは努力して立派に役割を果たしているにもかかわらず人々から尊敬されていない他人を目撃してしまった。そして絶望した。諦めてしまった。彼らはもう足掻くことをせず、緩やかに死んでいくことを選んだ。なるべく痛みを感じることなく、人生をやり過ごしていくことにした。

 

 そんな彼らにとって一番の痛みは「大人になれていない自分を自覚すること」です。彼らにとって一番のつまづきであるこの事実は直視したら目が潰れてしまいそうなほどの痛みを引き起こします。だから彼らは「大人になれていない自分」を直視しません。直視はしませんが、当然、胸の中にモヤモヤしたものは残って「お前はダメだ」と自分を責める声を発し続けます。「お前はダメだ」と自らを苛むこのモヤモヤから逃れる術はないものか。そこで考え出された方法が「ハゲのせいにすること」です。

 

 「自分はなぜダメなんだろう?分からないな……ああそっか、ハゲているからだ。原因が分かってスッキリしたよ、ハゲじゃあ仕方がないな、うん、仕方がない」自分が大人としての誇りを持てないという事実から目をそらし、それでも残ってしまった胸の痛みを誤魔化すために、オジサンたちは全てをハゲのせいにしてしまった。そして「自分はハゲだからダメなんだ」との思い込みを強化するため、皆さんの思考に介入し、自分だけでなく周囲の人々にも「ハゲはダメだ」と思い込ませた。ああ、なんと卑怯な手を使うのでしょうか?ああ、そしてなんと哀れなのでしょう!(ハゲたオジサンたちが深いため息をつく、老婦人らは涙ぐむ)

 

 哀れです。あまりにも哀れです。私は彼らが哀れなあまりに、世間に対してこの事実を伏せておこうと考えもしました。真実を暴露しても彼らに余計な痛みを思い出させるだけなのではないか?そんなことをして一体何になる?私の自己満足ではないか?私は何様なんだ?と。

 

 しかし、真実を隠しておくことは、絶望にうちひしがれた彼らを見捨てることになる、痛みに耐えかねて逃げを打った彼らを甘やかすことになる、甘やかしは希望が無いことを裏打ちすることになる、私は考え直しました。だからこそ私は声を大にして皆さんに告発したい!ハゲは嘘つきだ、ハゲは卑怯だ、ハゲは甘えだ!

(聴衆、歓声を上げる)

 

 ありがとう、皆さん、ありがとう、今日この日以降、皆さんもハゲの嘘を見破り、卑怯な企みを打ち砕き、決してハゲを甘やかさないようにして下さい。そして絶望に覆われた彼らの目が一筋の光を、希望の光を見出ださんことを共に祈りましょう。

(拍手が起きる)

 

 最後にハゲ諸君、今日以降君たちの甘えは許されなくなる。したがって君たちは以前経験したことのある痛み、あの痛みに身をさらすことになるだろう。それは辛い、とても辛いことだ。だが諸君、思い出してみてくれ、諸君らの人生は辛いことばかりだったろうか?よく思い出すんだ…どうだい?それなりにいいこともあったんじゃないのか?夕方帰り際に友と追いかけた赤トンボ、鼻を垂らして帰った君らに祖母が用意したほうじ茶、弟ともぐりっこして母に叱られた長風呂、寝床でグズる妹をいつも照らしていた月影、どうだい、思い出したかい。それが光だ、希望だ。過去の思い出は未来へ続く道を照らすだろう。もし、よく思い出せなくても大丈夫だ。もうすぐ春本番、多くの草花や木々が街を彩る。その彩りを眺めながら、人生に前向きだったあの頃の気持ちを思い出してほしい。それが出来てこその人生だ。

 

それでは諸君、健闘を祈る。

(拍手が起きる、いつまでも続く)