なべさんぽ

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【序】詩的表現が『わかる』ーカエルの王さまー

 新年明けましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いします。
 ここ数年コロナ禍でなかなか明るい気持ちにはなれませんでしたけれども、今年はよい年になるといいですね。


 
今回は

「詩的表現が『わかる』」

で、詩的表現がよくわからないという方のためにグリム童話『カエルの王さま』を『わかる』ように読みといていく、という文章の序章です。

 

 なぜこのテーマで私がブログを書くのか、その説明として、まず

「詩的表現が『わかる』」ことにはどのような意味があるのか
という話から始めたいと思います。

  • なぜ詩的表現を『わかる必要があるのか?』
  • 詩人との対決

なぜ詩的表現を『わかる』必要があるのか?

 皆さんは小中学校で国語の時間に詩を習ったことがあると思います。人がある想いを表現するために数行から数十行に渡って書いた言葉の断片、それが詩です。
 とても短い言葉を綴った短歌や俳句というものがありますが、これも詩の1種です。また、絵本や児童文学などのお話、高校の現代文の教科書に載っているような小説も、それ自体を詩とは言い難いですが、詩的表現が使われています。もっと広く見ていくと歌の歌詞も詩であり、学校で習うものから演歌・歌謡曲・J-POPの歌詞まで、みんな詩と言えます。このように詩や詩的表現は学校で習うだけでなく様々な場所で見られるものです。


 詩的表現は胸に秘められた人の想い、つまり感情を表現した言葉ですから事務的な言葉や日常語とは違っています。そのため日々の生活に追われている一般人にとって、詩的表現は仕事や日常生活とは関係のない言葉、したがって自分とは関係のない言葉です。仕事や日常生活において胸に秘めた自分の想いを表現することなんてあまりありませんからね。だいたい詩的表現は分かりにくく、一般人である我々の方を向いてくれていません。こちらを向いてくれない相手を理解しようなんて普通の人は思いませんから、「関係のない言葉」だとみなされるのも仕方のないことでしょう。
 
 
 詩的表現がよく出てくるものに「文学」があります。例えばフランツ・カフカの『変身』ですが、冒頭から主人公が虫になってしまっています。現実で虫に変身することなんてありませんからもう分かりません。
「これはなんだろう?」
と思って読み進めていっても一向に理解できず、
「いつ面白くなるのだろう?」
とガマンして読んでみても面白くならず、気が付いたらお話が終わっています。わからない・つまらない文章を読むのは苦痛で、そんな読書に時間をとられたら損した気分になります。
 「文学」とは大抵このようにわからない・つまらないものです。そのくせ「文学」は
「教養として読むべき本だ」
とか
「これを知らないと恥ずかしい」
などと我々に迫ってきて、偉そうな顔をしています。流せる人は「ふーん、そうなの?」と流しますが、腹が立つ人は
「うるせぇ!このポエム野郎が!」
と怒っちゃったりします。
 
 「文学」ではない詩的表現もわかりにくいです。例えば「流行りの歌」です。「流行りの歌」というと大抵は「若者の間で流行っている歌」で若者の想いを歌ったものですが、これもわかりにくい詩の代表格です。「なんだろう?」と思って見たり聞いたりしていても、一向にその「若者の想い」が具体的な形をとってきません。
「ありのままでいたい」
だとか
「あなたに会いたい」
だとか言っていて、何をどうしたいのか、何をどうして欲しいのか言いません。「わかんねえな」と思っていると
「大人は汚い…」
などと言い出し始めるので、流せる人は「まあ、若者だから…」と流しますが、腹が立つ人は
「だから何をどうして欲しいのかはっきり言えよ!このヒキョーモノォ!」
と怒っちゃいます。



 よくわからない詩的表現と付き合うことは大変なので、距離を置くというのは1つの手でしょう。「ポエムやりたい人は勝手にやってくださいな。こっちはこっちで楽しくやるからさ」と言って適当に付き合えば問題なく日常を過ごせます。
 しかし、そううまくはいきません。詩的表現とは詩人の「ある想い」を表現したものです。つまり他人に
「この想いをわかってよ!」
と呼び掛けるために産み出されたものです。ですからもし我々一般人が詩的表現を「わからない」と言って敬遠して距離をとっていると、
「わかってよって言ってるじゃないの!!」
と向こうの方から語気を荒らげて追いかけてきます。もしくは
「誰も私のことをわかってくれない……」
と言って塞ぎ込んでしまい、自分の世界に閉じ籠ってしまいます。いずれにしても周囲の人が対応に困ることになります。
 
 

 「周囲の人が対応に困る」と言いましたが、これは一部の人間だけの問題ではありません。なぜかと言いますと、「詩人」というのは特殊な人々ではなく我々の身近に大勢いるものだからです。
 人間は仕事や日常生活以外の部分でなんらかの想いを抱いてしまうものです。その想いを隠している人もいれば、自分がある想いを抱いているという自覚がない人もいます。そう考えると詩人は潜在的にかなりたくさんいるはずです。そのため我々一般人が詩的表現と距離を置き続けるとイライラして怒り出す人が増えたり、鬱々として塞ぎ込む人が増えたり、世の中全体が不穏になります。ですから我々一般人が詩的表現を理解することは詩人の想いを受けとめ、その怒り・嘆きを静め、世に平穏をもたらすことに繋がります。これが詩的表現を「わかる」ことの意味です。

 

 私は今の世の中が不穏だと思いますが、その原因は行き場を失った詩人の想いがさまよっているためだと考えます。だから私は皆さんに詩的表現を理解していただいて、詩人の怒り・嘆きを静め、世に平穏をもたらしたいと思います。そのために皆さんが詩的表現を理解するのに役立つ情報を提供しようというのが今回のブログです。
 

 
 

詩人との対決

とは申しましても、このブログは

詩的表現の「解説」

ではございません。

詩人と「対決」

するブログです。
 

 上で書きましたように詩的表現は分かりにくくつまらないため「詩なんか関係ない」とか「わからない」とか「詩は嫌いだ」とか感じている方も多いかと存じます。私は「理解していただ」きたいと書きましたが「理解してほしい」いうヤツに限ってろくでもないヤツであることが多く、皆さんが大いに迷惑を被ってきたことも承知です。
「詩的表現を理解するなんて、やなこった!」
という方は多いでしょう。だいたい私自身が詩人に困らされてきた人間ですから
「なんで俺が詩人のためにワザワザこんなことやらなきゃいけないんだよォ!」
と怒り心頭で書いており、頭の血管が破裂しそうなのです。ですから私は詩人を「理解する」なんてことしてあげませんし、皆さんも「理解」なんてする必要ございません。そんなことして「あげる」もんか!じゃあどうするのかというところで「対決」の話です。
 
 
 
私の提案は
「わからねえぞ!」と詩人に文句を言いながら詩を読む
という喧嘩腰の「対決」をすることです。

 今まで我々一般人は詩人の言葉に対して受け身で「なんだろう?」と思うだけの状態でした。「わからない」と質問すると無知をさらけ出すことになり、「人の気持ちがわからないヤツ」と人から馬鹿にされる恐れもあったため我々は「わからない」と言って質問をしませんでした。また、わからないとどう抗議してよいのかわからず、声も上げづらく、「沈黙」という形での抗議しかできませんでした。
 我々が何も言わないために詩人は
「僕はみんなに認められているんだ!」
という勘違いをしてしまいました。なんと呆れたことに、人の気持ちを表現するはずの詩人は自分と自分に似た人の気持ちは分かるくせに、自分とは違う他人の気持ちは全く分からないのでした。「僕はみんなに認められているんだ!」と思い込んだ詩人は調子にのってますます訳のわからない表現を使いだし、我々はますます困る、そんな悪循環に陥っていました。

 
 その悪循環を打破するにはどうしたらよいか?我々が怒って「わからない!」と詩人に言えばよいのです。詩人に対して
「何言ってるかわかんねえよ!俺にわかる言葉で話せよ!」
と、こちらを向かせる努力をするのです。「わからない」ことを恐れる必要はありません。どうせ向こうだってこちらのことを「わからない」のですからお互い様です。むしろ「わからない」と言ってやった方が親切というもので、感謝されてもよいくらいです。そして、今まで無視されてきたという恨みもありますから、怒っちゃいます。「怒り」の表現も大事で、こちらが怒っていることをきちんと伝えないと相手にはわかりません。我々は詩人から無視されてきたという怒る理由がきちんとあるのですから、遠慮せずに怒れます。それに詩人はあまり一般人に相手にされることがないので、怒られると
「ああん、怒られちゃった…」
と案外喜びます。
 

 このブログでは詩人を「理解する」ことはせず、詩人と対決することで詩的表現を一般人にも分かるように変えてしまいます。詩人の用いる詩的表現をこちら側に引きずり込み、日常語で上書きしてやるのです。
 
 

 その試みが『カエルの王さま』の読み解きです。『カエルの王さま』は童話のため話の筋が分かりやすくとっつきやすいと思います。いきなり難しいことをやるのは大変なので簡単なところから始めたいと思い、『カエルの王さま』を選びました。
 
 「簡単なところ」とお書きしましたが、童話の全ての要素が簡単なわけではありません。童話は表現や内容が簡単で面白くはありますが、「わからない」という想いを我々に抱かせるものです。
 大人になって童話を読んでいる方は少ないでしょうから、例えばスタジオジブリのアニメーション映画を思い浮かべてみてください。ジブリ映画には童話を題材にしたものがございますし、オリジナルの童話と言える映画も多いです。だから内容や表現が難解ということはなく、皆さんは映画を面白く観ることができるでしょう。ですが皆さんはジブリの映画を見終わったあとで「結局なんだったんだ?」と言いたくなった、そんな経験はないでしょうか?話の筋や個性的な登場人物は面白いのだけど、なんとなく「わからない」という想いが残る、ジブリの映画はその点で童話と同じです。童話を読み解くことは、ジブリの映画を観て抱く「わからない」という想いを埋めていくことだ、そう考えていただければと思います。



それでは次回から『カエルの王さま』の読み解きに入っていきたいと思います。

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