なべさんぽ

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『鬼平』と『マダオ』ー男の凋落ー

 今年もあと少しで終わってしまう12月ではございますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 先日、歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんが亡くなりました。この方は歌舞伎界の大御所です。重厚な演技が持ち味で、時代劇を得意とする俳優さんでした。テレビドラマにも出演することがあり、主演を務めた『鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)』は大変な人気を博しました。私は中村吉右衛門さんが好きで、TSUTAYAで『鬼平犯科帳』のDVDを借りて視聴しますし、何回か吉右衛門さんの歌舞伎の舞台に足を運んだこともありますので、もうその演技を見ることができないと思いますと大変残念です。


 今回は中村吉右衛門さんにちなみ、『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」と『銀魂(ぎんたま)』に登場する脇役「マダオ」について、「マダオは落ちぶれた鬼平である」というお話をしようと思います。



 若い人の中には『鬼平犯科帳』がどういう話か分からないという方もいらっしゃると思いますので、まずは粗筋からお話しします。

 
 時は江戸時代中頃、浅間山大噴火や天候不順により天明の大飢饉が発生、経済不安が起こり打ち壊しも頻発していました。田沼意次失脚ののち老中松平定信寛政の改革を始めるも世情は不穏なまま、江戸の町では犯罪が増加・凶悪化の一途をたどっておりました。そんな状況下、特殊警察火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)長官に就任した旗本の長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)は江戸の町を荒らし回る盗賊たちを厳しく取り締まり、盗賊たちから鬼の平蔵、通称「鬼平」と呼ばれ恐れられるのでした。鬼平の活躍を移り変わる江戸の風情と共に描いた捕物帖、それが『鬼平犯科帳』です。

 『鬼平犯科帳』はもともと雑誌「オール読物」で1968年から連載されていた池波正太郎さんの時代小説です。1969年からたびたびテレビドラマ化され、中村吉右衛門さんが演じたのは1989年開始のシリーズです。先日亡くなったさいとうたかをさんがマンガ化していて、2017年にはアニメ化もされました。このように長い間多くの人に愛されている物語なのですね。

 
 「鬼平」とは上で書いた通り「鬼の平蔵」の略称で「平蔵」とは「長谷川平蔵宣以」のことです。長谷川平蔵宣似は江戸時代に実在した旗本で、実際に火付盗賊改方の長官を務めていました。
 主な功績として、寛政元年関東地方を荒らしまわっていた盗賊、神道徳次郎(しんとうとくじろう)一味を捕らえたこと、寛政3年に江戸市中で強盗・強姦を繰り返していた盗賊団の首領・葵小僧を逮捕したことがあります。また、石川島人足寄場を設立し、犯罪者の社会復帰を支援したことでも有名です。石川島人足寄場については日本史の教科書にも書かれているのでご存じの方もいらっしゃるかと思います。
 上司や同僚からはあまり好かれていなかったようですが、その人柄により江戸の庶民から「本所の平蔵さま」「今大岡」などと呼ばれて親しまれていたようです。
 以上のように実在の長谷川平蔵は「勇猛果敢で人情味あふれる豪傑」だったと思わせる記録が残る人物ですが、小説もドラマもマンガもそのイメージをもとに長谷川平蔵を描いています。テレビドラマ『鬼平犯科帳』の中で中村吉右衛門さんはイメージ通りに長谷川平蔵を演じました。そのため長谷川平蔵は「勇猛果敢で人情味あふれる豪傑」というイメージが世の中に広く知れ渡りました。


 
 さて、既に「『勇猛果敢で人情味あふれる豪傑』がなんだって『マダオ』なんかと関係あるんだ?」と困惑されている方もいらっしゃると思いますが、先を焦らずに『銀魂』の説明もしようと思います。

 『銀魂』の粗筋は以下のようなものです。

時は江戸時代、宇宙人である天人(あまんと)諸族との攘夷戦争に敗れて開国させられた日本では侍が滅亡、傀儡と化した幕府統治下で人々は天人の圧迫を受けて暮らしておりました。しかし江戸の街には侍の魂を忘れず己の誇りを守りながら生きている人々が僅かながら存在しておりました。そんな侍の1人であるかつての攘夷志士坂田銀時(さかたぎんとき)、姉と共に父の残した剣術道場を守る志村新八(しむらしんぱち)、天人の夜兎族(やとぞく)であり怪力の少女神楽(かぐら)、この三人がかぶき町を舞台に江戸で起こる事件を解決していくSF人情お笑い時代劇、それが『銀魂』です。

 
 『銀魂』は2004年から「週刊少年ジャンプ」で連載されていた少年マンガです。2006年にはアニメ化もされています。割りと若い人に人気のあるお話ですから、支持者の年齢層が高めの『鬼平犯科帳』とは一見なんの関係もないように思えます。しかし関係あります。『銀魂』に登場する脇役「マダオ」がそのカギとなる人物です。
 

 
 「マダオ」とは何かといいますと、これは『銀魂』に登場する長谷川泰三(はせがわたいぞう)という人物に付けられたあだ名で「まるでダメなオッサン」の略称です。
 

 長谷川泰三は幕府の貿易局局長として登場します。銀時・新八・神楽の働くなんでも屋万屋(よろずや)にやって来た泰三は、天人ハタ王子の逃げ出したペットを探すよう銀時たちに依頼します。実はこのペットというのが宇宙から持ち込まれた危険な怪獣で、ハタ王子の元を逃げ出したあとは暴れて江戸の町を破壊していたのでした。この「ペット」を捕まえようとする銀時たちではありましたが、狂暴なため取り押さえるのは困難、新八も食べられそうになってしまい、銀時は怪獣を倒そうとします。しかし泰三はそんな銀時を制止します。制止する理由は何かというと、ペットを傷つけて天人の機嫌を損ねたらどんな報復措置をとられるかわからない、多少江戸の町が破壊されようが江戸の町人が死のうが我慢するべきだ、というものでした。本来なら危険物の持ち込みを制止しなくてはならなかった貿易局の局長である泰三は、天人に対して毅然と対応できない自分の意気地のなさを隠すために「大人の理屈」を持ち出して新八を、ひいては江戸市民を見捨てようとするのです。しかし侍である銀時はそのような保身の言葉には耳を貸さず、報復覚悟で怪獣を倒し新八を救います。銀時の覚悟に感銘を受けた泰三は誇りを取り戻し、横暴な態度をとるハタ王子を殴り飛ばします。しかし理由はなんであれ暴力は暴力ですので、泰三は貿易局をクビになってしまいます。その後無職となった泰三が公園のベンチで天を仰いでいたところ、神楽から「まるでダメなオッサン」略して「マダオ」と命名されるのです。

 

 さて、この「マダオ」というあだ名ですが、なんだかよくわかりません。
 
 「オッサン」はよいでしょう。泰三は外見からしてそれほど歳をとっているようには見えませんが、若い娘さんである神楽からしたら充分「オッサン」といってよいほどの貫禄を備えていますから。
 「まるで」はある物事を別の物事に例える比喩表現です。通常「~のようだ」という言葉が伴い、例えば「酔っ払った父は、まるでゆでダコのように赤くなっていた」という使われ方をします。ですから「まるでダメなオッサン」は「まるでダメなオッサンのようだ」の「ようだ」を省略した形です。「まるでダメなオッサンのようだ」と言うと、泰三は「ダメなオッサン」そのものではなく「ダメなオッサン」に似た何かである、ということになります。


 
 では泰三が似ているという「ダメなオッサン」の「ダメ」とはなんなのでしょうか。


 泰三が無職になって天を仰いでいた時につけられたあだ名だから、一見すると「ダメ」は「無職であること」を指すように思えます。なるほど、「無職」だったら「ダメ」と言われるかもしれません。人は何らかの職業や役割といった仕事を持って生きるものです。「無職」には職も役割もない、したがって仕事をしていないので、人としてどうなのでしょうか?しかも泰三には頑張って次の仕事を見つけようという様子が見えず、公園でいじけているだけなのです。これはもう「ダメ」と言われてしかるべき状態です。

 
 しかし「ダメ」はどうも「無職であること」を指しているわけではないようです。というのも、泰三はマンガ『銀魂』のなかであまり「無職」の状態にはならないからです。
 『銀魂』に何度も登場する泰三は基本的に頑張り屋さんです。貿易局をクビになったあと一瞬無職になっていじけるのですが、すぐタクシードライバーの職に就きます。タクシードライバーは銀時が持ち込んだトラブルのせいですぐクビになり、その後も職に就いては銀時のせいで何度もクビになるのですが、そのたびに新たな職に就いています。働くことが嫌いなわけではなさそうですし、クビになってもめげずに職探しをしています。どうも泰三は「無職」であることを「ダメ」と言われているのではないようです。



 それでは「ダメ」とは一体何なのでしょうか?
 実は「ダメ」とは
「男としての誇りを持てない」
ことを指しているのです。


 
 泰三は銀時に感化されて一瞬誇りを取り戻しました。だから横暴なハタ王子を殴り飛ばして制し、貿易局局長として天人に毅然とした態度をとることが可能になったのです。そして暴力を振るったために泰三は貿易局をクビになり、公園で空を仰ぐ羽目になります。この時の泰三は誇りを失っています。でも泰三はすぐに仕事を探し出してまた誇りを取り戻そうとする、そういう男です。だからこそ神楽は泰三に「ダメなオッサン」ではなく「『まるで』ダメなオッサン」というあだ名を付け、泰三が「完全に誇りを捨てたオッサンではなくそれに似た何かである」と表現したのです。

 

 既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、長谷川泰三長谷川平蔵は同一人物です。二人とも江戸時代に存在する「長谷川○ゾウ」です。長谷川平蔵の名はテレビドラマ『鬼平犯科帳』で広く世に知れ渡っていますから、後から描かれた『銀魂』の登場人物である長谷川泰三は当然長谷川平蔵をモデルとしています。
 
 

 長谷川泰三長谷川平蔵を念頭に産み出されて、「豪傑」である「鬼平」が「まるでダメなオッサン」である「マダオ」になってしまった。なんでそんなことになってしまったのかと言いますと、「現代に誇りをもって生きられる男なんていない」という男の嘆きを代弁するためですね。

 現代では「世の人々のために働く」ことがあまり称賛されません。豊かな時代で、生きることの大変さが自覚されにくくなったためです。ですから「世の人々のために働く」ことを誇りに思って生きていると、「おまえ、なに古臭いこといってんの?バカじゃないの?」と嘲笑されかねません。
 戦前から地続きである昭和の内はまだ「世の人々のために働く」ことは尊敬されるべきことでありましたが、バブル景気の狂騒のなか突入した平成にはもうそんな誇りは忘れられてしまいました。だからこそ平成元年である1989年に中村吉右衛門主演の『鬼平犯科帳』が始まったのであり、「世の人々のために働く男とはこういうカッコいい男のことだ」と理想が掲げられたのでしょう。しかしその後「鬼平」になることができた男はおらず、誇りを失った「マダオ」が登場するのです。


 くだらないマンガの道化師にもこんな悲しい背景があるということをお伝えしたところで今回のブログを締め括りたいと思います。


 
……ですが、最後に一言。

 「マダオ」は「まるでダメなオッサン」です。まだ完全に「ダメ」ではないのです。そして誇りを取り戻そうと懸命に足掻いています。そんな男に簡単に「ダメ」なんて言ってはいけませんね。
 
 「マダオ」が誇りを取り戻せる日が来ることを信じて今回のブログを終わりたいと思います。