なべさんぽ

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『ポルノグラフィティ』は『ヘンタイ』なのか?ーひとは結構勝手な理解をするー

 寒さが身に染みるようになり冬の到来を感じるこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?お身体に気を付けていただきたいものと存じます。

 少し前に女優の長谷川京子さんとロックバンド「ポルノグラフィティ」のギタリスト新藤晴一さんの離婚が報じられました。その報道でふと私が以前「ポルノグラフィティ」について考えていたことを思いだしましたので、ここに書いてみたいと思います。

その内容は
「『ポルノグラフィティ』は『ヘンタイ』なのか?」で、
結論は
「人は結構勝手な理解をする」です。
いきなり人様をヘンタイ呼ばわりするとは随分なことですが、まあ、お読みください。



 ポルノグラフィティは私が小学校高学年の時に当時の若者の間で流行り始めたロックバンドですが、その登場に私は驚きました。
 この「驚きました」は通常だと「その音楽性に」という意味になるところですが、違います。「当時の若者」の中に小学生は入りませんから、小学生である私は当然「当時の若者」の中にはいません。したがってポルノグラフィティのことはよくわかりません。そもそも音楽に興味がなかったので、「音楽性」などというもの自体私に関係ないものでした。
 
 私がポルノグラフィティの何に驚いたのかというと
「『ポルノ』などというヘンタイ的な名を冠するグループが公然と表を闊歩している」ことに、です。


 

 私が小学校高学年の時は「児童ポルノ」という言葉が日本で知られるようになった時期でもあります。児童ポルノが問題となり、禁止する法律が作られ、制定される、そのことが話題になり、テレビや新聞で報道されていました。
 小学生の私は報道を見聞きして

「なぜ、『エロ』ではなく『ポルノ』という言葉が使われるのだろうか?」

と疑問を抱きました。私にとって「エロ」は馴染みのある言葉でしたが「ポルノ」は新しい言葉でした。私は「わざわざ新しい言葉を使うのであったら今までの言葉とは何か違う意味を持つはずだ」と考えるような子供でした。だから「エロ」と「ポルノ」の違いが気になったのです。

 
 小学生が「エロ」に馴染みがあることを不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしちょっと考えてみれば不思議でもなんでもありません。小学生の周りにはエロが溢れています。
 例えばマンガ『ドラえもん』です。主人公のび太はよく同級生しずかちゃんの家のお風呂に乱入します。また、マンガ『クレヨンしんちゃん』の主人公しんのすけの両親ひろしとみさえは、夜中の「プロレスごっこ」をしんのすけに覗かれます。
 大人向けマンガが家庭に無防備に置かれていたら、暇な子供は勝手に読みます。私の家にも父親買ったマンガが書庫にたくさん置かれていて、私はそれらを読んでいました。池波正太郎(いけなみしょうたろう)原作さいとうたかを作画の『鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)』や『剣客商売(けんかくしょうばい)』、ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』などがあって、それらにはエロい場面がたくさん出てきます。
 また、テレビで放映される洋画にはベッドシーンが出てきます。親と一緒にそのシーンを見るのは気まずいですが、テレビを消したりチャンネルを変えたりする方がかえって意識してしまうと考えたのでしょうか、はたまた映画に集中して子供がその場にいることを忘れてしまっているのか、母親は平然と見続けていましたので、私も一緒になってベッドシーンを見ていました。
 こんな風に、小学生の周りには公然とエロがたくさんありますので、当時の小学生である私がエロに馴染んでいても不思議はございません。
 
 
 
 例え小学生の周りにエロがたくさんあったとして、「エロ」と「ポルノ」の違いを気にするだろうか、そう訝しむ方がいらっしゃるかもしれませんので、そちらについてもお書きします。
 
 小学生の私は自宅で得られるエロだけでなく、友達の家にあるマンガからもエロを吸収しておりました。
 
 少し断っておきますが、私はエロいマンガを探して読んでいたわけではなく、お話が好きでマンガを読んでいました。面白いお話が好きで、その中にエロが出てくれば、それもお話の大事な部分だと思って受け入れていた、ただそれだけです。

 友達の家のマンガに話を戻しますが、友達の家で見つけたマンガの中で特に面白かったものに『シティハンター』があります。これはスイーパー(掃除屋、始末人)冴羽リョウ(リョウはけものへんに僚のつくりを合わせた漢字)が相棒の香(かおり)と共にその銃の腕によって裏社会の事件を解決していくマンガです。基本的に劇画であるため冴羽リョウは強くてカッコよく人情味があるヒーローなのですが、大変なスケベという欠点があります。若いお姉ちゃんを見ては鼻の下を伸ばし、しょっちゅう股間にテントを張っては
「りょうちゃん、もっこり!」
などと叫び、依頼人の美女に夜這いをかけたり刑事の冴子に「依頼料はもっこり一発だ!」と迫ったりして香に100トンハンマーのお仕置きを食らいます。性描写そのものはありませんが、「香の監視がなかったらその先の行為があったのだろう」と強く思わせるような描き方です。
 昔の小学生だったら主人公がカッコよさとスケベさの両方を備えていたら困ったでしょう。強くてカッコいいところは好きなんだけど、露骨にスケベだとこの人のことを「好きだ」と言いづらいな、と。しかし時は平成です。この『シティハンター』は私が読んでいた頃には既に連載を終えていたのですが、連載していたのはなんと週刊少年ジャンプです。このマンガは全国の男の子の間に「エロ」を公然と存在させていたのです。「エロ」はもう子どもにたいしても開かれる時代になっていました。そのことを知っていた私は「カッコいい男はもっこりするものだ」と理解しました。私は『シティハンター』というお話が好きだったので、カッコよさとスケベさの矛盾などというものにこだわらず、そこに描かれるもの全てが好きでした。だから「エロいことは欠点というよりむしろ美点だ」と、昔からしたら転倒した価値観を受け入れました。
 ついでに言うと、私も名前が「りょう」なので、
「僕も冴羽リョウみたいなカッコいいもっこりにならないといけないな」
などとわけのわからないことを考えていました。
 

 『シティハンター』の数あるお話の中で特に印象深かったものに、冴羽リョウ貞操帯を着ける回がありました。ハンバーガーショップの若い店員の女の子とデートすることになったリョウですが、下心丸出しで手を出すことが予想されたため、香によって鉄の貞操帯を着けられてしまいます。これで何もできなくなったリョウですが、デート中に興奮して何度ももっこりしてしまいます。しかし下半身は貞操帯でガチガチに固められていますから、もっこりするたびに股間が痛い!そしてリョウの興奮が最高潮に達したとき、なんともっこりが鉄の貞操帯を突き破り、リョウは股間に大怪我を負ってしまうのでした。
 このお話を読んだ私は「痛い」と思って股間を押さえ込み、脂汗を流すような悪寒に襲われましたが、同時に「すごい…」と思って冴羽リョウに対する尊敬の念も覚えました。
 
 
 こんな風に私はマンガが好きで、そこに描かれるエロも好きだったので、「エロいのはよいことだ」と思っていました。だからこそ「ポルノ」という新しい言葉を耳にしたときに、「それはエロとはどう違うんだ?」とこだわったのです。



 
 「児童ポルノ」という言葉を知った私は最初に「子供の裸を見たがる大人はヘンタイだ」と思いました。そして「ただのヘンタイは別に悪いものでもない」と思っていた私は「子供の裸が映っている写真やら映像やらを製作して売ったり買ったりするヘンタイは悪いやつだ」と考えました。だから私はまず「エロはよいもの、ポルノは悪いもの」と考えました。
 しかし「児童ポルノ」という言葉は「児童ではないポルノ」の存在をも暗に示しています。その事に気づいた私は「ポルノ」という言葉がどういう場合に使われるのかを考えました。その結果は、単に女や男の裸が描かれた絵や写真を指す場合には「ポルノ」を用い、物語がある男女の裸を指す場合には「エロ」を用いるのだ、というものでした。「エロ」は日常で使われる言葉ですが、「ポルノ」は日常的には使われません。むしろ「ポルノ」は秘密の悪事のように囁かれています。だから「エロ」は人と共有できる楽しいもの、「ポルノ」は自分一人だけの後ろ暗いもの、私はそう考えました。そして
「一人の世界にとじ込もって人の裸をみているなんて、ポルノはやっぱりヘンタイのものだ」
という結論に至りました。
 

 

 
 長くなったのでそろそろ何の話をしていたか忘れてしまった方もいるかと思いますが、このブログの話題はポルノグラフィティです。ここでようやく本題に戻ります。

 

 「ポルノグラフィティ」というロックバンドの存在を知った私が「『ポルノ』などというヘンタイ的な名を冠するグループが公然と表を闊歩している」ことに驚いたのは、私の「ポルノ」という言葉に対する理解のためでした。私は自ら「ポルノ」であると公言しているロックバンドが堂々とテレビに出たりCDを出したりしていることを嫌だと思い、また「それを許している世間ってのは、一体どうなっているんだ?」と訝しみました。小学生の私からしたら、「エロ」ではない「ポルノ」などというヘンタイは、存在していてもよいけれど、本屋かビデオ屋の一角にあるアダルトコーナーにひっそりと存在するべきものでした。それがなぜ昼間から堂々と存在するのだろうか?その疑問は解消されないまま私の中に残り、謎が解けたのは「若者」になってからでした。


 


 20代の頃の私は暇でした。あまりにも暇でやることがなく、暇潰しに色々な音楽CDを聞いていました。ある時「そういえば、小学生の時に流行っていたポルノグラフィティの曲ってよく知らないな」と思い、ポルノグラフィティのCDを聴いてみたことがありました。ポルノグラフィティの曲をいくつか聴いた私は
「全然ヘンタイじゃないじゃないか!」
と驚きました。例えば『ヒトリノ夜』という曲ですが、その歌詞の内容は「周りに流されずに自分の想いを大切にして生きていけ!」というものです。また『サボテン』という曲は女の気持ちを考えてこなかった男の後悔を歌っています。その他にも『アポロ』『メリッサ』『サウダージ』『ハネウマライダー』など人気の曲がありますが、どれもまともな内容です。「ポルノ」という名を冠しているからヘンタイ的な曲を歌っているに違いないと思ってましたが、どうも様子が違います。
 

 私のポルノグラフィティに対する理解は間違っているのではないか、そう思った私はスマートフォンを使って「ポルノグラフィティ」という言葉について調べてみました。すると「ポルノグラフィティ」とは英語で「ワイセツな落書き」という意味でした。


 「ワイセツな落書き」とは、若者が公衆便所やトンネルなど人目につかないところに書く・描く落書きのことです。それらは何らかの想いを抱えて書いた・描いた当人にとっては意味を持つものでしょうが、境遇の異なる他人には関係がなく、世間一般的には「クダラナイもの」です。
 若きロックバンドというものは曲を作り、演奏し、歌うことで胸に抱いた想いを表現しようとしますが、その想いはなかなか人に理解されないものです。その点で若いロックバンドと「ワイセツな落書き」は同じです。だから人からなかなか理解されなかったロックバンドは
「そうだよ、どうせ俺らのやってることなんて便所の落書きみたいにクダラナイことさ!」
と不貞腐れ、挙げ句の果てに開き直って自ら「ポルノグラフィティ」を名乗るようになったのです。


 こう思いいたってようやく私の「ポルノグラフィティはヘンタイだ」という勘違いは解消されました。そして「ポルノグラフィティ」は「人からなかなか理解されない想いをめげずに表現している若者」なのだという理解が訪れました。「ヘンタイ」どころか「立派」です。私は勝手に「ヘンタイ」だと思って忌避していたポルノグラフィティに対して申し訳なく思い、反省しました。

 こうしてポルノグラフィティと和解した私は
ポルノグラフィティは立派なんだ。俺も頑張って立派なもっこりりょうちゃんにならないといけないな」
と、やっぱりよくわからない勘違いを新たに始めてしまうのでした。






今回の内容は
「『ポルノグラフィティ』は『ヘンタイ』なのか?」で、
結論は
「人は結構勝手な理解をする」でした。


 私と同じくみなさんも勝手な理解をしながら生きていらっしゃるかもしれません。なにかを見聞きしたときに少しでも違和感を覚えたら、調べたり、人に聞いたり、自分で考えてみたりすることをお勧めします。きっとそこには面白い発見があるはずですよ。