なべさんぽ

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【本編⑦】詩的表現が『わかる』ーお姫さまの親切ー

 お正月から始めたこの「詩的表現が『わかる』」という続き物のブログですが、もう桜が散る時期になってしまいました。更新に時間がかかりましたが、ようやく【本編⑦】です。前回で「美醜の問題」は終わり、今回からは完全に『カエルの王さま』に戻りたいと思います。

 『カエルの王さま』をどこまで読んでいたのかと申しますと、なんとまだ物語の冒頭です。「お姫様と『カエルのような風貌の醜い男』との会話には問題がある」と私が申し上げて、そこから全く先へ進んではいないのでした。それというのも「問題」の大前提となる「カエルのような風貌の醜い男」という表現に皆さんが引っ掛かってしまい、この表現を飲み込んでもらうために【本編②】から【本編⑥】まで使って「美醜の問題」を私が語っていたからでした。皆さんはもう「美醜について語ること」と「美醜について判断を下すこと」にためらいはなく、カエルのような風貌の男が「醜い」ということを受け入れることができたと思います。もしかしたら、まだ完全に納得していない方がいらっしゃるかもしれません。個人個人で納得の度合いに差はあることと存じますが、皆さんが私の話に納得したという前提で話を進めたいと思います。

 

 さて、お姫様と男の会話には問題があります。私は「気持ち悪い」だとか「イヤだ」とか申し上げましたが、これだけではなんのことかよくわからないでしょう。何が問題なのか、具体的にご説明したいと思います。

 
 まず、男の要求は過大です。
 男が女に「俺の女になれよ」と言うこと自体は問題ではありません。いい女がいたら近づきたくなるもので、自分のものにしようとすること自体は変ではありませんし、悪いことでもありません。しかしその近づき方には気を付けなくてはなりません。
 「カエルのような風貌の醜い男」はまりを取って来る代わりに「俺の女になれよ」と言っていて、お姫さまに取引を持ちかけています。取引とはお互いに等価の物を交換することですから、男は「まりを取って来る」ことと「俺の女にな」ることとを等価だと考えている、そういうことになります。人と人との関係は大体取引ですから、男女関係が取引であってもおかしくはありませんが、ここで考えたいのは「俺の女になること」と「まりを取ってくること」は果たして等価なのか、ということです。
 まりは童話の中に「金のまり」と書かれていて、確かに高価なものです。しかしお姫さまは王さまの娘でお金持ちですから、まりをなくして困るということはありません。なくしたらまた買えばよいものです。しかも男は「いい男」ではなく「醜い男」ですから、男の彼女になったところでお姫さまに利点はありません。だから「まりを取ってもらう」ことと「男の彼女になること」はお姫さまにとって等価ではなく、過大な要求です。身の程を知らずに「金のまり」と「俺の女になること」を等価だと考えている男のありようは見ていて気持ちのよいものではありません。私が「気持ち悪い」とか「イヤだ」とか申し上げたのはまずこの点です。


 

 次に考えたいのは、なぜかお姫さまが男の要求を飲んでしまった点です。今申し上げたように、「金のまり」と「俺の女になること」は明らかに等価ではありません。この取引はお姫さまにとって損で、こんな取引をしたらバカです。それなのにお姫さまは男と取引する約束を交わしてしまいます。これはおかしいです。一体なぜお姫さまは男との取引に応じてしまったのでしょうか?
 実はお姫さまが男の要求を飲んだ理由はけっこう簡単でして、お話の中のお姫さまのセリフでわかります。
「蛙のおばかさんが、なにをべちゃくちゃいうことやら。かえるはかえるどうし、水のなかにかたまって、オレキレキ・アナタガタってないてるんじゃないの。人間のおなかまいりなんか、できやしないわ」(同上、19ページ)
 お姫さまは「カエルのような風貌の醜い男」の要求を受け入れる気なんかさらさらなかったのですね。まりをもらったら要求は無視してしまって、それでなんとかなると考えていたのです。お姫さまはたかがまりのために自分を差し出すほどバカではなく、取引のなんたるかをきちんと知っていたようです。


「じゃあ初めから約束なんかしなきゃいいじゃないか。約束したのに、相手を見下しているからといってその約束を破るなんて、お姫さまはひどい。『カエルのような風貌の醜い男』がかわいそうじゃないか。」

 こうお感じになった方はいらっしゃるでしょうか?ここまでの私の文章を読んで来て、まともな感性を持った方なら、ある程度そう考えるかもしれません。実際このあとお姫さまは王さまにカエルとの約束を果たすことを命じられ、窮地に陥ります。カエルの要求が過大だからといって、約束を反故にしてよいわけがない、王さまはそう考える人なのですね。「そりゃそうだ」と王さまに共感する方は多いでしょう。
 

 こう書いてくると「男の要求は過大だが、男を騙したお姫さまも悪い」というように見えますが、そう言いきってしまう前に考えてみたいことがあります。それは、「お姫さまの言動がヘンだ」ということです。
 
 お姫さまは王さまの娘なのでお金持ちです。金のまりは高価ですが、なくしたらまた買えばよいほどのものでしかありません。お姫さまは男の彼女になることを約束してまりを取ってきてもらわなくてもよいのです。もし、なくしたまりがどうしても惜しいのならば、お城にいる家来に言い付けてまりを取ってこさせればよいでしょう。しかもお姫さまは若くて美しく、ずっと格下の醜い男と関わらなければいけない理由なんかありません。無視してもよいし、格下の癖に対等な取引を持ちかける身の程知らずの男に激怒したっていいのです。それにも関わらずお姫さまはわざわざ男の彼女になることを約束して金のまりを取ってきてもらい、わざわざその約束を破るという手間をかけて、男と関わろうとしています。お姫さまの行動は明らかにヘンです。これは一体どういうことでしょうか?

 

 実はお姫さまは「親切」だから男を相手にして「あげた」のです。
 普通の人間なら自分よりずっと格下の醜い男と関わろうとしません。人は美しいものが好きですから、醜いものは視界にも入れたくはなく、醜いものが近付いてきたら距離をとります。ましてや、醜いくせに対等な口を利こうとする身の程知らずの男なんかがいたら、不愉快極まりないです。また、醜い人間と関わるとその醜さが自分に感染してしまうのではないか、という恐れもあります。人は付き合う人間から影響を受けてしまうもので、よい影響も悪い影響も受けます。特に悪い影響は簡単に感染しますから、警戒せねばなりません。そのため普通の人は醜い男がいたら距離を取り、関わりを持とうとはしません。

 

 しかしお姫さまは醜い男と関わっても平気です。お姫さまは若くて美しいので、その美しさを犯すことのできる醜さなどありません。つまりお姫さまは無敵です。だからお姫さまは醜い男と関わって平気なのです。無敵のお姫さまは自分の感性に正直に行動しました。お姫さまは「この男は自分の醜さが分からないんだ」と思い、「醜いこの人にイジワルをして身の程を分からせてやろう」と考えた、だからわざわざ男にまりを取ってきてもらい、わざわざ約束を破り、「おまえなんか、その程度の扱いしか受けられないほど醜いんだぞ」と教えてあげたのです。なんと親切なのでしょう。
 「カエルのような風貌の醜い男」はタダでお姫さまにイジメていただけて幸せです。まともな人間だったらここで改心することでしょう。
「ああ、僕はお姫さまにまともに相手をしてもらえる身分ではないのだなあ……悲しいなあ…つらいなあ…悔しいなあ……でも、そのことをわざわざ教えてくれたお姫さまって、とても親切だなあ…………よし、今はダメな男だけど、僕はいつかお姫さまにまともに相手をしてもらえるような男になるぞ!」
と、自分の現在の立ち位置を確認し、いい男になるための修行を始める、通常ならばそういうハッピーエンドを迎えるところです。

 
 ところがどうでしょう?男はお姫さまの親切に感謝するどころか、「約束を守れ!」とお城に押し掛けてくるのです。親切でイジメテもらったのに、男はその恩を仇で返したのです。なんと恥知らずなのでしょう!そんなんだから他人からまともに相手にされないのです。他人からまともに相手にされないくせに、親切な人が相手をしてくれたらその親切な人を踏みつけて優越感に浸ろうとするとは、極めて薄汚い、卑劣な人間です。「てめえ、立場わかってんのか!!」です。世の中にはわざわざお金を払ってまで女王様にムチでおケツをぶっ叩いてもらっている哀れな男もいるというのに、男はお姫さまにタダでイジメてもらったことを感謝もせず、あろうことか逆ギレしたのです。正気の沙汰ではありません。
 

 かなり感情的になってしまって何が何やらよくわからなくなってしまったので、簡単にまとめます。

 『カエルの王さま』物語冒頭のお姫さまと「カエルのような風貌の醜い男」とのやり取りにおける問題点とは、「美しいお姫さまが親切にも男に醜さを自覚させ、美しくなるための道さえ示してくれたにも関わらず、醜い男が逆ギレした」ことです。この事に対して私は「気持ち悪い」とか「イヤだ」とか言っていたのです。
 
 
 

 今回はここまでです。物語冒頭の問題点が分かったところで、次回はお話を先に進めていきたいと思います。