なべさんぽ

ちょっと横道に逸れて散歩しましょう。

悪いことをするとバチは当たるのか?

みなさんは、悪いことをするとバチが当たると思いますか?
思いませんか?
それとも、こんな非科学的な話自体がバカバカしいとお考えでしょうか?



 少し前になりますが、8月13日の読売新聞13面に「『バチがあたる』信じる本音は」というタイトルの記事が掲載されました。
 読売新聞が今年3~4月に行った世論調査によると「バチがあたることがある」と考える日本人が現在76%もおり、56年前に行った同じ調査の41%と比べ大幅に増加していることがわかりました。読売新聞の記者は「バチがあたる」という非科学的な信仰を多くの日本人が未だに信じていること、そして増えていることに驚き、その理由を考察しています。

 この記事の考察をまとめると、「バチがあたる」という宗教的な道徳観が復活したわけではなく悪い行いには「バチがあたるべきだ」と考える人が増えたから上記のような結果が出たのではないか、またその原因は「この不公正な社会を作り出した人には罰が与えられるべきだ」と考える社会・経済的に報われない人が増えたためだろう、ということです。



 宗教がどうしたとか、社会経済が云々という話はよくわかりませんが、私は悪いことをするとバチがあたると思います。神や仏が物理的に実在していて罰を下すのではなく、私たちの胸のうちからその罰はやって来ます。


 最近はある程度なんとかなってきましたが、私は他人の話を全然聞かない人で、他人を無視して好き勝手やってきました。他人の話はよくわからず、つまらないしためにもならないしで、話を聞くだけ時間の無駄だと思っていたからです。当然そんなことをしていたら人間関係は悪くなり、しょっちゅう孤立して寂しくなっていました。
 寂しくなるということは、他人をよく思っていなくても本当は仲良くしたかったからです。仲良くして好かれたい、役に立つ人間だと思われたい、そういう想いがあるからこそ、それが満たされない時に「さみしい」と思います。
 私のした悪いこととは「他人を求めている自分を認めずに他人と仲良くしなかった」ことです。そして私にどんなバチが当たったのかというと「孤立して寂しくなった」ことです。ほら、ちゃんとバチが当たっているでしょう?


 私たちは人です。人は人を求めます。人間関係でどんなに嫌なことがあったって、人と仲良くすることをどうしようもなく求めてしまう、だから神や仏がいなくたって胸の中にある自らの想いから「バチがあたる」のです。

 
 この話を人にしたら「じゃあもし『人と仲良くしたい』という自覚がない人が悪いことをしてもバチは当たらないのか?そういう奴ほど腹立たしいからバチが当たってほしいんだよな」と言っていました。

 もちろんそういう人にもバチは当たります。「人間になれない」というバチです。
 人と仲良くしたいという自覚がない人は嘘つきです。なぜなら人である以上「人と仲良くしたい」と思っているはずなのに「僕はあんなやつらと仲良くしたいなんて思っていない!」と自分に言い聞かせているからです。自分が人であるということを否定してしまっています。これではいつまでたっても人間らしい幸せを手に入れることはできません。ですから一見平気で悪いことをやっていそうな彼らにもやっぱりバチが当たっているのです。


「早く人間になりたい」

 アニメ「妖怪人間ベム」のなかに出てくるセリフです。このアニメは人でも動物でもない妖怪人間たちがいつか人間になれることを夢見て生きるお話です。最初のテレビ放送は1968年ですが、その後何回かリメイクされ、この秋には映画も放映されます。
 何度もリメイクされるということは、人間になれない妖怪人間に共感する人がたくさんいるということでしょうか。

 
 彼らはどんな罪を犯して妖怪人間になってしまったのでしょうか?きっと本人にはわからないでしょう。本当に哀れです。