なべさんぽ

ちょっと横道に逸れて散歩しましょう。

“I can fly”は「翔べらぁ!」と訳すー英語の助動詞についてー

前回、英語の過去形についてお話ししましたが、ついでに助動詞についてもお話ししようと思います。

今回も私が中学生の時の話から始めます。私は中学生の時に「助動詞ってヘンだ」とおもっていました。


 中学1年生のときに英語の授業で助動詞canを習いました。canは「~できる」と訳されるもので、人の能力を表します。例えば

①I can fly.
(私は飛ぶことができます。)
②I can speak English.
(私は英語が話せます。)
のように使います。

 しかし一方で、「許可を求める、お願いをする」ときにも使われます。中学の教科書だと多くは疑問文の形で出てきますが、例えば

③Can I come with you?
(ご一緒してもよろしいですか?)
④Can you help me?
(手伝ってくれませんか?)

 これら“can”の用法を習った私は「どうして能力と許可とお願いが同じ助動詞で表現されるんだ?」と不思議に思いました。「不思議に思った」というより、1つの言葉に色々な意味があって、時と場合に応じて使い分けなくてはならないことが面倒だったから、いちゃもんをつけただけです。
 

 そんなわたしですから「全部『能力』で訳してやる!」と思って試してみました。

①´Can I come with you?
(私にはあなたとご一緒するだけの力があるでしょうか?)
②´Can you help me?
(あなたには私を助けるだけの力がありますか?)

 試しては見ましたが、おかしなことになりました。
 ①´の訳は自分の能力を他人に訪ねていますが、こんなセリフが使われる状況が思い付きません。弱虫の男の子が勇者に「私の旅についてこないか?」と問われて「僕にできるかなあ?」と自信なさげに答える、というお話の世界の状況ならありそうですが。
 ②´の訳は相手の能力を尋ねています。しかし、やっぱりヘンです。「あなたには私を助けるだけの力がありますか?」は「果たしてこの私を『助ける』などということができますかね?あなたごときに!」という上から目線のセリフです。人にものを頼む態度ではありません。

 “can”を全て「能力」で訳すことに失敗した私は「うまくいかないな」と悔しくはありましたが「まあいいや」で済ませました。




 “can”はそれで済みましたが、中学2年生の時に私は“will”でまた引っ掛かりました。“will”は「未来の表現」の項目で習いましたが、「未来の表現」には以下の2通りがあります。

⑤I am going to visit Kyoto next month.
(私は来月京都を訪ねる予定です。)
⑥I will visit Kyoto next month.
(私は来月京都を訪ねるつもりだ。)

 be going to は未来の予定の表現で、willも未来の予定を表す助動詞です。「どっちもおんなじなのか?」と思った私ですが、そのとき先生は「be going toは確定した未来を表すが、willは未確定の未来を表す」と教えてくれました。「be going to」の方は実現することが決まっていて、「will」の方は実現するかどうかわからないということです。「同じことをどうして2通りで表現するんだ」と思った私ですが、“can”の時の失敗で懲りていたので、モヤモヤしてはいたものの、「『未確定の未来』なんて、アメリカ人もあいまいなことを言うんだな」くらいの感想で済ませ、おとなしくしていました。



 
 それから20年近く経った私の心境の変化については前回書きましたので今回は省略しますが、とにかく「心」だったり「気持ち」という観点を持つようになった私は、「助動詞は気持ちを表すときに使われる」と最近になって思い付きました。


 それはまず“will”の方からわかりました。“will”は助動詞ではありますが、名詞だと「意志」という意味を持ちます。これを知った私は、be going toはなんの気持ちも込めない「予定」を表し、willは「行きたいから行くんだ」という表現なのだと思いました。そうすると、先ほどの訳のニュアンスが変わってきます。

⑤I am going to visit Kyoto next month.
(私は来月京都を訪ねる予定です。)

 be going toはこの例文の場合、「別にいきたいわけではないけど出張で行かなくてはならない」とか「休みの日は家で休んでいたいのだけれど、家族が行きたいって言うから仕方なく行く」とかいったニュアンスがでます。

⑥I will visit Kyoto next month.
(私は来月京都を訪ねるつもりだ。)

 willはこの例文の場合、「前から京都に行きたくて自分で旅行の計画をたてた」とか「京都ってどんなところかわからないけど、家族でお出掛けするから楽しみ」とかいったニュアンスが出るでしょう。ですから「私は来月京都を訪ねるつもりだ。」より「来月ね、京都に行くんだよ!」とでも訳した方が良さそうですね。


 willとbe going toの違いについてこう考えた私は、canにも似たような仲間がいたことを思い出しました。be able toです。


 be able toはcanと同様に「~できる」と訳します。例えば

He is able to swim very fast.
(彼はとても速く泳ぐことができます。)
I was able to catch the last train.
(終電に乗ることが出来た。)

という風に使います。私はbe able toとcanを比べてみて、「be able toは事実を表すが、canは気持ちを表す」と考えました。



 それではcanの「気持ち」を前面に押し出した訳をつくってみます。まずは③④許可・お願いです。

③Can I come with you?
(ご一緒してもよろしいですか?)
④Can you help me?
(手伝ってくれませんか?)

 ③は「私がご一緒してもあなたは不快ではありませんか?」とか「私がご一緒したらあなたは喜んでくれますか?」とか訳せます。④は「あなたは私のために力を貸してもよいと思ってますか?」だとか、「あなたは私のためにあなたの時間を割くだけのお気持ちがありますか?」だとか訳すとよいでしょう(すこしくどい訳になりますが)。


 それでは①②の能力を表す方のcanはどうでしょうか?こちらはbe able toと並べるとその違いがよくわかりますので、並べます。

①I can fly.
(私は飛ぶことができます。)
⑦I am able to fly.
(私は飛ぶことができます。)

②I can speak English.
(私は英語が話せます。)
⑧I am able to speak English.
(私は英語が話せます。)

 先に②と⑧についてです。⑧は「英語が話せる」という事実を表すので、訳はそのままです。ただ、⑧を言った場合、何らかの英語の資格を持っていたり、英語を使って仕事をした経験があったりという裏打ちが必要です。
 それに対して②は気持ちですので「わたし、英語話せるよ」とか「ボク、英語話せるもん!」とか訳すとよいでしょう。この場合、実際には英語を話せなくてもかまいません。「英語を使う人とお話しするんだ、きっとできるさ!」と本人が思っていさえすれば言えます。


 次に①と⑦です。⑦は事実を表すので、やっぱり訳はそのままです。ただ、「飛ぶ能力」を持つ人間が現実に存在するわけありませんから、SFマンガやヒーローものの映画のセリフに限定されます。
 ①は気持ちですので、「翔べらぁ!」とでも訳すとよいでしょう。こちらも現実で言う機会はなさそうです。実際に飛べなくてもこのセリフを言うことはできますが、実際に崖から飛んだら墜落して死んでしまうのでやめた方がよいでしょう。




いかがでしたか?

 英語の本を読むときや洋画を見るとき、また実際に英語を使う外国人と話すとき等には「助動詞は気持ちを表す」ということを意識してみると、新たな発見があるかもしれません。
 また学生さんは英語のテストのときに「助動詞は気持ちを表す」ことを意識して問題を解いてみてください。I can fly.を「翔べらぁ!」と訳したら減点されるかもしれませんが、英語の先生にウケることは確実です。多少の減点は覚悟の上で先生を笑わせてやりましょう。

その方が楽しく生きることができるでしょうから。