なべさんぽ

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【本編⑥】詩的表現が『わかる』ー和田アキ子の怯えー

寒い日と暖かい日が交互に続き、三寒四温という言葉が実感されるこの頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 前回は『カエルの王さま』を読みながら「美醜の問題」をお話ししましたが、今回はその続きです。

 「カエルのような風貌の醜い男」の「醜い」は容姿のことですが、その容姿とは「生まれもった容姿」ではなく「外見に現れた男のあり方」を指していました。男のあり方に問題があり、それが服装や肌や表情といった外見に醜く現れているのですね。
 今回は現実における「醜い男」の一例を挙げて、醜いあり方とはどういうものかを具体的に想像していただこうと思います。

 その具体例とは稲田直樹です。
 


②-c和田アキ子の怯え

 稲田直樹とは吉本興業所属のお笑い芸人です。同じく吉本興業所属の河井ゆずると二人で「アインシュタイン」というお笑いコンビを組んで漫才をしています。私は「アインシュタイン」の漫才を観たことがないので面白いのかどうかよくわかりませんが、数々の賞を受賞しているらしいので、それなりに面白いのだと思われます。
 私がなぜよくわからないお笑い芸人を取り上げたのかと申しますと、この稲田直樹が「ブサイク芸人」として有名だからです。実際、稲田直樹は「吉本ブサイク芸人ランキング」(及び上方漫才協会大賞ブサイク芸人ランキング)で何度も1位を獲得している人で、大変特徴的な外見をしています。極端にしゃくれた顎、並びが悪くボロボロの歯、色の暗い肌、薄い頭髪などを持ち、1度見たら忘れられない顔です。   
 しかし、私は稲田直樹が特徴的な顔だから「醜い男」の例に挙げたのではありません。
 皆さんは稲田直樹のような特徴的な顔を持つ人にあまり会ったことがないかもしれませんが、「あまりない」だけであって、何人か特徴的な顔の人に会った経験はあるでしょう。特徴的な顔の人に対して、会った当初は「変わった顔だな」と思って驚いたと思います。人は自分の知らないものに驚いたり、知らないことを怖がったりするものです。それでも何度か会って相手の人となりが分かってきたら、見た目にだんだん驚かなくなり、怖くもなくなります。見慣れたら驚きませんし、分かれば怖くないからです。このように顔面の造形が特徴的だと見慣れないから驚くことや分からないから怖がることはありますが、「顔面の造形が特徴的」=「醜い」にはなりません。
 それではなぜ私が稲田直樹を「醜い男」の例に挙げたのかと申しますと、稲田直樹は「ブサイク芸人」として有名で、「ブサイク」を名乗る芸人のあり方に醜さが隠れているためです。
 

 
 そもそも芸人とは芸を売り物にする職業のことです。お笑い芸人とは漫才をする漫才師やコントをするコメディアンのことですが、通常、お笑い芸人の顔面の造形は細工がよかろうが悪かろうが問題とされません。客が芸人に求めるのは「芸」であって「顔面の造形」ではないからです。客は芸人がいかに見事な芸を見せてくれるかを期待して劇場に足を運びます。客は舞台で芸人の見せる芸が面白ければ喜び、つまらなければガッカリしますが、芸人の顔面の造形なんかどうでもよいと思っています。客が「顔面の造形」を求めるとしたら美男や美女の役を演じる俳優です。だから二枚目俳優を見たい人はテレビドラマや映画や演劇の舞台を見ます。
 ところが、お笑い芸人たちやその周囲の人間たちは何かを勘違いしていて、「お笑い芸人には二枚目俳優や美女役の俳優と同じような顔面の造形が求められているはずだ」と考えているようなのです。
 「吉本ブサイク芸人ランキング」で稲田直樹は1位を何度も獲得していると先ほど申し上げましたが、吉本興業のランキングものは他にもあって、それは「吉本男前芸人ランキング」です。こちらのランキングには稲田直樹の相方である河井ゆずるが上位入賞を果たしておりますが、そもそもお笑い芸人の顔面の造形をあれこれ言うランキングの存在はヘンです。顔面の造形が求められるのは二枚目俳優や美女役の俳優のはずです。俳優の「美男ランキング」や「美女ランキング」が存在するのなら分かります。また、芸人に求められるのは芸の見事さなので、「芸人おもしろランキング」や「漫才上手ランキング」が存在するのなら、これもわかります。しかし芸人の「ブサイクランキング」と「男前ランキング」の存在は意味不明です。芸人に顔面の造形など求められていないにも関わらず、まるで顔面の造形が求められているかのようにランク付けをする企画はヘンです。ヘンですが、実際に存在してしまっています。こんなランキングが存在する理由は、お笑い芸人たちやその周囲の人間が「お笑い芸人には二枚目俳優や美女役の俳優と同じような顔面の造形が求められているはずだ」と考えている、それしかありません。まるで自意識過剰な中学生の発想ですが、ヘンなランキングが存在する以上、そういうことになってしまいます。
 
 
 「ブサイク芸人」は「お笑い芸人には二枚目俳優や美女役の俳優と同じような顔面の造形が求められているはずだ」ということを前提に存在することが分かりましたが、これで困ってしまうのは客で、芸人の過剰な自意識に巻き込まれて嫌な思いをすることになります。
 例えば、皆さんがお笑い芸人の漫才を観に行って、そこに「ブサイク芸人」なるものが登場したとします。この「ブサイク芸人」は自分の顔が醜いと言って嘆いています。皆さんはそれを聞いて「あんたの顔面なんて、別にどうでもいい」と思って、ただ「おもしろい漫才が観たい」と思って観ています。漫才をみていると、芸人はそこここに自分の顔に対する嘆き節を入れてきます。「これは一体なんだろう?」と皆さんは困惑して「ブサイク芸人」の顔を見てみますと、なんだか目付きが悪いです。その顔はなんだかよく分からないけど怖いです。皆さんは「いやだなあ」と思いますが、なぜ芸人がそんな目付きをしているのかよくわからないので「もしかしたら、あの顔付きは漫才の一環で、しばらく観ていたら嫌な顔付きの理由がわかるのかも」と考えて静観します。しかし、嫌な顔付きの謎が解けないまま漫才は終わってしまい、「なんだったんだ?」と釈然としないまま帰ることになります。
 「ブサイク芸人」は「お笑い芸人には二枚目俳優や美女役の俳優と同じような顔面の造形が求められているはずだ」ということを前提に存在しているため「客は俺のことを醜いと思っているはずだ」と考えて防御の姿勢をとります。それが自分の顔に対する嘆き節です。さらに「俺のことを一方的に醜いと思いやがって、このやろう!」という客に対する敵意が生まれ、目付きが悪くなります。
 それに対して客はお笑い芸人の顔面の造形なんてどうでもよくて、おもしろい芸が観たいだけです。客は「お笑い芸人には二枚目俳優や美女役の俳優と同じような顔面の造形が求められているはずだ」と考えている「ブサイク芸人」の胸のうちなんか知りません。客は勝手な前提を作られて、勝手に嘆かれて、勝手に睨まれるのです。たまったものではありません。
 稲田直樹の醜い点は、相手のことを考えずに勝手な前提を作って一方的に相手に敵意を抱き、歪んだ顔を向けている、その点です。これが「外見に表れた男のあり方」が醜い例です。
 
 

 この過剰な自意識の被害者も例に挙げておきましょう。それは和田アキ子です。
 
 私が以前日曜日のお昼にテレビを見ていると、『アッコにおまかせ』にアインシュタインの二人が出演していました。『アッコにおまかせ』は歌手の和田アキ子が司会を務めるお笑い系ニュース番組なのですが、その放送のなかで和田アキ子稲田直樹に向かってこんなことを言っていました。

「おまえ、初めて見たときはビックリしたけど、慣れるとなかなかかわいく見えるな」

 この和田アキ子の発言は、顔面の造形が特徴的だと見慣れないから驚くけど、相手の人となりが分かってくればもう驚かない、ということを意味します。
 しかし、和田アキ子の発言が意味することはそれだけでしょうか?長年芸能界で生きてきた和田アキ子は顔面の造形が特徴的な人には何度も会って慣れているはずですから、そうそう驚かないし怖がらないはずです。その和田アキ子が自分よりずっと年下の稲田直樹に「ビックリした」理由は「顔面の造形が特徴的だから」という単純なものではないでしょう。そして稲田直樹は「ブサイク芸人」を名乗るヘンな芸人です。「ブサイク芸人」は過剰な自意識で他人に敵意を向ける困った存在です。これらの事実を合わせて考えると、和田アキ子は「『ブサイク芸人』に勝手な敵意を向けられて、その理由が分からず怯えた」、それが「ビックリした」という発言に表れたのでしょう。

 


 物事の筋目を見誤ると、女番長を怯えさせるほどの醜さを産み出しかねない、今回はこのことを覚えておいていただけたらと思います。
 
 そして今回で「美醜の問題」は終わりです。次回からは『カエルの王さま』をまた読んでいきます。




 終わりに、稲田直樹について書き足したいと思います。

 稲田直樹は芸人になるまで自分の顔面の造形が特徴的だということに気付かなかったそうです。それも当然で、稲田直樹は二枚目俳優をやっていたわけではないので、誰からも整った顔面の造形を要求されなかったからですね。そして、芸人になって自分の顔について嘆いたら客が喜んだため「ブサイク芸人」になったそうです。おそらく客が「喜んだ」のは見慣れぬものに対する不安を稲田直樹が解消してくれたからでしょう。最後に、稲田直樹は漫才の中で自分の顔を嘆くことを減らしているそうです。客が芸人の過剰な自意識を嫌がり、面白い芸を見たがっているだけだということがわかったからでしょうね。
 
 もう「ブサイク芸人稲田直樹」はいないようです。稲田直樹には今後も芸人たちのつまらない自意識に巻き込まれず、芸に精進していって欲しいものです。