なべさんぽ

ちょっと横道に逸れて散歩しましょう。

英語の過去形と人の気持ち

今回は塾講師らしく、英語の文法の話をしようかと思います。テーマは「過去形」です。


私は中学生の頃から「英語の『過去形』はヘンだ」と思っていました。


 過去形とは過去の事実を表すときに使われる文法のことで、英語では主に動詞の変化によって表現されます。過去形が使われるときは通常、
「walk(歩く)」→「walked(歩いた)」
「love(愛する)」→「loved(愛した)」
のように、動詞に「ed」や「d」が付け加えられます。また、
「see(見る)」→「saw(見た)」
「go(行く)」→「went(行った)」
のように、動詞が不規則な変化をすることもあります。
 現在形は現在の事実や習慣を表し、
I go to school every day.
(私は毎日学校に行きます。)
のように使われますが、過去形は過去のある時点での事実を表し、
I went to school last Sunday.
(私はこの前の日曜日に学校へ行った。)
のように使います。


 ここまで習った中学1年生の私は「ふーん」と思っただけだったのですが、この後に出てきた「過去形のようなもの」に戸惑いました。私が教科書で出会ったのはこんな文です。

Could you tell me the way to the station?
(駅までの道順を教えていただけませんか?)


「could」は「can」の過去形です。
「can」は動詞に「できる」という意味を加える助動詞で、例えば
I can speak English.
(私は英語を話すことができる。)
という風に使います。これを過去形に直すと、
I could speak English 20 years ago.
(私は20年前は英語を話すことができた。)
となります。


 しかし学校の教科書では「could」はまず初めに

Could you tell me the way to the station?
(駅までの道順を教えていただけませんか?)

という形で出てきます。日本語訳を見る限り「過去」の要素はありません。しかも先生は、canを使うよりcouldを使った方が丁寧な尋ねかたになる、と言うのです。私は「なんで過去形を使っているのに過去の話にならないんだ?なんで過去形を使うと丁寧な表現になるんだ?」と不思議に思いました。

不思議に思った私ではありましたが、英語に対してそれほど探究心もなかったので「まあいいや」で済ませてそのままにしておきました。



 それから20年近くたちましたが、英語の過去形について最近分かったことがあります。それは「英語の過去形とは心の奥にあるものを取り出すときに使うものだ」ということです。


私は最近まで「事実」と「気持ち」を「関係のない別の物」であると、あまりにも単純に捉えていました。それというのも、「事実」は動かしようのない確固としたものだけれど、「気持ち」は時と場合と人によって異なるあいまいなものだ、そう考えていたからです。
 しかし働くようになって人と関わることが多くなるとどうも様子が違います。働く場では、相手が私の示す「事実」に納得するという人の「気持ち」が大事になるのです。私は「事実」と「気持ち」の区別はできないものだ、いや、「気持ち」が「事実」に勝るんだ、もっと言うと、「気持ち」という土台の上に「事実」が作られるんだ、そう考えるようになりました。
 「だったら俺もそうしよう」ということで、自分の気持ちを満たすために本当かどうかわからないようなことをこのブログに書き綴っているのではありますが、長くなりそうなのでこの辺で英語の過去形に戻ります。


先ほど挙げた例文を再び書きます。

①I went to school last Sunday.
 (私はこの前の日曜日に学校へ行った。)

②Could you tell me the way to the station?
 (駅までの道順を教えていただけませんか?)

①が「過去の事実」を示すときに使われる過去形で、②が「丁寧なお願い」を表現する「過去形のようなもの」です。
一見すると関係のない「事実」の文と「気持ち」の文ですが、どちらも「心の奥にあるものを取り出している」点で共通しています。


 まず①は「過去の事実」を表す表現ですが、「過去」とはその辺に物理的に転がっているものではなく、人の心の中の「記憶」として存在します。「記憶」は普段意識されるものではなく、過去の記憶を話すときには思い出すこと、すなわち「こころの奥にある記憶を取り出す」ことを必要とします。


 次に②は「丁寧なお願い」の表現ですが、「丁寧なお願い」は「本当に頼みたいんだ」という気持ちを示すものです。だからやはりこれも「心の奥にある気持ちを取り出す」ことが必要です。


 したがって私は「過去形とはこころの奥にあるものを取り出すときに使うものだ」と考えるのです。
ここまで考えて、まだ他にもあったことを思い出しました。仮定法過去です。


高校に入ってから習う文法で仮定法過去というものがあり、
I wish I were a bird.
(もしも私が鳥だったらなあ。)
という風に使います。これは「現実とは異なる願望」を表すものですが、be動詞の過去形「were」が使われています。心の奥にある「願望」を取り出しているので、やはり過去形が使われるのでしょう。



いかがでしょうか?英語の文法1つ取ってもそこに人の気持ちを見ることができます。

世の中には他にどんな気持ちの表現があるのでしょうね。みなさんもぜひ探してみてください。