なべさんぽ

ちょっと横道に逸れて散歩しましょう。

【本編⑨】詩的表現が『わかる』ー魔法と魔女ー

日本全国で暑さが続くこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?体調を崩してはいませんか?くれぐれもお身体には気をつけて下さいね。
今回は『詩的表現がわかる』の最終回、の予定でしたが、また終わらなかったので次回を最終回にしたいと思います。申し訳ありませんが、今少しお付き合いください。


 
 前回はカエルがお城まで追いかけてきた場面についてお話ししました。カエルの無茶な要求を嫌がるお姫さまに対して「そいつと寝ろ!」と言い付ける王さまは判断力のない人なのだということでした。今回はその続きです。まずはカエルとお姫さまが寝室に行った後の場面の筋を少し詳しくお書きします。



 お姫さまはカエルを部屋のすみへおいて寝床へ横になりましたが、カエルは寝床へ入りたがりました。もし入れてくれなかったら王さまに言いつけるとカエルが言いましたので、お姫さまはすっかり腹を立てて、カエルをひろいあげ、壁に叩きつけました。するとカエルは美しい王子さまに変身しました。王子さまは、悪者の魔女の魔法にかかっていて、お姫さま以外には自分を救えなかったと言い、二人は仲良しのおともだちになりました。王さまも王子さまを気に入り、二人は結婚して、王子さまの国へ行きましたとさ。



 お姫さまは王さまの言いつけで「カエルのような風貌の醜い男」を自分の部屋に連れていきます。お姫さまは男をイヤイヤ部屋に入れましたので、当然のことながら男を自分の寝床には招きません。それなのに男はお姫さまに対して「寝床に入れろ」と言い、「もし自分を寝床に入れなかったら王さまに言いつける」などと言うのです。
 
 私は「カエルのような風貌の醜い男」のことを「イヤだ」とか「気持ち悪い」とか散々に悪口を書いてきましたが、ここまでくると悪口を書く気にもなれません。むしろこの男が哀れに思えてきました。この男にはここまでのお姫さまの態度がずっと見えておらず、一人相撲をとり続けているからです。
 
 お姫さまの態度は一貫して「あんたの女になるのなんかイヤだ」です。もしお姫さまのことを好きな男がいて、このお姫さまの態度を見ていたとしたら、「どうしたらお姫さまに自分のことを気に入ってもらえるか」と考えて、気に入ってもらうための行動をとるはずです。しかしこの男にはお姫さまの気持ちを動かそうという素振りが全く見られません。反対に、この男の行動は「俺とお前は男女の仲になるという契約を結んだ。お前にはその契約を履行する義務がある」というなんの情緒も色気もないものです。挙げ句の果てには「王さまに言いつける」です。これは「強制執行を申し立てるぞ!」という脅しですが、「強制執行」とは何事でしょうか?男が裁判所にお姫さまの契約の不履行を訴え出ると、裁判所が「姫よ、その男と男女の仲になりなさい」と命令を下し、派遣された執行官が嫌がるお姫さまを拘束して無理矢理ことに及ばせ、また別の執行官がその様を記録し、報告書にまとめて裁判所に提出するのでしょうか?バカなんですか?大体「王さまに言いつける」なんて言うことは、「自分にはお姫さまに好かれるだけの魅力がない。だから法律を使って強制的にヤってやる」と白状しているようなもので、情けないったらありゃしません。「男女の仲」に契約やら行政やら法律やらを持ち込むような野暮天がお姫さまに好かれるはずはないのに、そこに気付かない、いや、そもそもお姫さまに好かれようという発想すらないのです。そんな男を見ていると、この男は他人のいない1人の世界の住人なのだと思われ、「哀れ」という言葉が出てきてしまいます。

 

 さて、このあとお姫さまは迫り来る男に対してとうとう怒りを爆発させてしまいます。『カエルの王さま』のお話だと男は「カエル」なので、お姫さまはカエルを手で持ち上げて壁に叩き付けて潰します。実際にはカエルは「カエルのような風貌の醜い男」ですから、壁に叩き付けて潰すことはできません。きっとお姫さまはビンタをしたのでしょう。

「さあ、これで楽ができるだろ。いやらしいかえるったらありゃしないわ」

 醜いものが美しいものを踏みにじろうとしたときに毅然とした態度をとる、なんとも立派なお姫さまです。

 
 

 『カエルの王さま』のお話では、壁に叩き付けられたカエルはその瞬間に人間の王子さまに変身します。そして王子さまは「悪者の魔女」の魔法にかかっていてカエルの姿をしていたがお姫さまによって魔法が解けた、と言います。お話しならばこれでよいかもしれませんが、現実に即して考えると、ここにはよくわからない点が二点あります。
 
 1点目は王子さまが「悪者の魔女」の「魔法」にかけられていた点です。「魔女」や「魔法」が現役だった昔ならいざ知らず、現代において「魔女」だの「魔法」だの言われたって、現代人にはピンときません。皆さんは人間が魔法によってカエルになったと言われても、「昔はそういうことがあると信じられていたんだな。まあ、現代人の自分には関係のないことだけれど」という感想を持つだけでしょう。
 
 2点目は、「魔法」があったとして、なぜその魔法が解けたのかわかりません。「魔法」というと不思議で神秘的なものですから、それを解くには不思議で神秘的な技術が必要なはずです。しかし王子さまにかかった魔法はお姫さまのビンタという物理的攻撃によってあっさり解けてしまいます。不思議も神秘もあったものではありません。まるで作家が面倒臭がって結末をテキトーに書き上げたみたいです。不思議や神秘を持ち出すのなら、もっとちゃんとやってほしいものです。

 
 
 これらわかりにくい2点ですが、やはり現実の方に引っ張ってきちんと考えると、そうおかしな話ではありません。
 
 

 まずは王子さまが「悪者の魔女」の「魔法」にかけられてカエルになっていた点です。
 
 当たり前のことですが、人間を物理的にカエルに変化させる「魔法」などありません。これはよいですね。人間がカエルに変身することは不可能で、人間をカエルに変化させる方法もありません。あくまでも我々の生きる現実の方に引っ張って考えます。王子さまの言葉をそのまま受け取ってはいけませんよ。
 「魔法」が物理的に人を変化させるものではないとしたら、これは心理的なもので、気持ちの問題です。「魔法にかかってカエルの姿をしていた」は「気持ちの変化によって『カエルみたい』と言われるような格好・顔付き・存在になっていた」です。

 私が本編⑤でお話ししたように、「カエルのような風貌の醜い男」は「まだらでヌルヌルイボイボした服装・肌を持つ太った小男」で、「不機嫌そうな顔でこちらをにらんでいる」、しかも「正体の分からない怪しい男」でした。そしてこの男が醜い理由は、「他人」の存在を認めていないためでした。
 「他人」の目を気にしないため服装に無頓着で、風呂にも入らず肌が汚れています。
 「他人」が人間だとはわからないため自分以外の人間を背景の書き割りくらいにしか思っておらず、しかもこの男は背景である人間は主人公たる自分をチヤホヤすべきだと考えています。それなのに周囲の人間は自分をチヤホヤしないどころか相手にさえしない、そんなことは間違っている、こう不満を抱いており、不機嫌そうな顔付きで人をにらみつけています。
 この男は「他人」に対して自分を表現する必要性がわからないため、服装・表情・発言・行動・態度などがメチャクチャで、正体不明の怪しい男と人の目に写っています。
 
 このように王子さまは「他人の存在を認めていない」ということが原因で「カエルのような風貌の醜い男」になっていました。このことを考えると「魔法」とは「ものの考え方によって見た目が変わる現象」のことだと言えます。これだったら現実に起こりうることですからおかしな話ではありませんね。「ものの考え方によって見た目が変わる」ということは本人には自覚されず、不思議な現象に思われるものです。だから王子さまは不思議さを表すために「魔法」なんて言葉を使っていますが、端から見ている人にとっては不思議でもなんでもない現象です。「魔法」なんて言葉を前にして、あまり怯えないようにしましょう。
 
 
 
 それでは「悪者の魔女」に移ります。王子さまは「悪者の魔女」に「魔法」にかけられていました。「魔法」は「ものの考え方によって見た目が変わる現象」でしたが、この現象の原因が「悪者の魔女」だと王子さまは言っているのですね。「悪者の魔女」によって「ものの考え方」を変えられてしまって、見た目も変わってしまった、と。ということは、「悪者の魔女」は王子さまの「ものの考え方」を歪めることができるほど王子さまに影響力のある人物です。また、「魔女」ですから、きっと女なのでしょう。
 
 ものの考え方を歪めてしまうほど強い影響力を男の子に及ぼすことができる女というと、現代では母親ということになっています。昭和のサラリーマン家庭は母親が専業主婦として家の中のこと一切を取り仕切ることが一般的で、したがって子育ての責任も母親にあるとされてきました。子供が悪いことをしたり、おかしな性格になったら、それは母親の教育が悪いということになりました。平成を経た令和の現在でも母親の責任は盛んに語られていて、教育系の本やインターネット記事には、口うるさい母親の支配によって子供が歪められてしまうという話がよく書かれています。こんな状況で「悪者の魔女」と聞いたら、それは子供を支配しようとする恐ろしい母親のことだと思ってしまいます。
 
 しかしこんなのウソだというのはすぐ分かる話で、それというのも男の子は女の言うことなんか一切聞かないからです。男の子は自分のことを「男」だと思っています。だから男が好きで、大人の男に認められたいと思っています。大人の男からの言葉に価値を見いだし、大人の男の言うことを聞こうとします。むしろ大人の男の言うことに従える自分を誇らしいとさえ感じます。ところが教育担当の母親は女です。女である母親が男の子に何かを言っても、男の子は女の言葉に価値を見いだしませんから、母親の言葉は理解できません。理解できないどころか「なんで僕が女の言うことを聞かなくちゃいけないんだ」と反発します。だから男の子は母親の言うことを聞かないのです。
 
 男の子が母親の言うことを素直に聞くご家庭があったとしても、それは男の子が母親の言葉を受け入れているからではありません。父親が教育を母親に委任していることを男の子が理解していて、母親のことを「父親の代行」だと思っているからです。男の子は母親の背後に父親の姿を見ていて、母親の言葉は父親の言葉だと考える、だから母親からの教育を受けることができてまともに育ちます。父親が母親に子供の教育を委任していない場合、男の子は母親の言うことを聞きませんから、父親が直接男の子を教育することになります。この場合も男の子は教育を受けることができていますから、まともに成長します。父親がいない家庭の場合、そこにいる大人は母親だけです。男の子は母親の言うことを聞きませんから、まともに成長できません。ただ、親戚に「重鎮」のような男がいたり、学校にイカツい男の先生がいたり、近所に武道の師範がいたりして、男の子がその男を父親と見なした場合、男の子はその人から教育を受けることになるので、まともに成長できます。父親がいる・いないに関わらず、母親が父親らしい面を持っている場合にも男の子の教育は可能です。社会において確固とした父親像が存在していて、母親がその父親像を息子の前で演じることが出来れば、息子は母親を父親とみなすことができるためです。

 先ほどから私は「まともに成長」ということを何度も申し上げておりますが「まともに成長する」とは「誇りを持つ」ようになることです。男の子に関して言うと、「ぼくは大人の男になるんだ」と希望をもって生きていけるようになることを指しています。例えば男の道徳に「女に優しくしろ」というものがあります。男の子が母親や姉妹やよその家の女の子とケンカをしたとして、あまりに腹が立って手が出そうになったとします。その時に「女に優しくしろ」という男の道徳を思い出したら、我慢して手を引っ込めます。また「ヒキョウはいけない」という道徳もあります。勉強が嫌いな男の子がいて、勉強から逃げ出そうとしたとします。その時に「ヒキョウはいけない」という道徳を思い出したら、我慢して勉強に取り組みます。「ぼくは大人の男になるんだ」と希望をもって生きていくことは、大人の男にふさわしく自分の行動を変えていくことです。これがまともな成長で、成長できたと実感できたら男の子は自分に誇りが持てます。
 
 父親から教育を受けられなかった男の子は成長目標を見失います。目標がなければそれに向かって自分の行動を変えていくことができず、したがって誇りを持つ機会が得られません。そうなったら男の子は空虚を抱えることになります。成長しようというエネルギーだけはあって、しかし方向性が見いだせない、そうなった男の子はカンシャクを爆発させるようになるか、あるいは絶望からなげやりになり、フヌケてのらりくらりするばかりかのどちらかとなります。これは、女を殴れば勉強もサボりっぱなしで平気というような、自分で自分を律することができない状態です。息子がこんな状態だったら母親が心配するのは当然のことで、母親は息子にあれこれお小言を言います。「バカなことはやめなさい」とか「自然にしていて」とか「シャキッとしなさい」とか「ハッキリ言いなさい」とか。当然息子は耳を貸しませんが、母親から自分の悪いところを指摘されていることは理解できますから、それが気に入りません。成長目標を見失って空虚になっているかわいそうな自分は保護され優しくなぐさめられてしかるべきなのに、母親は自分に優しくないどころかいつも小言を言っている、この人には人の血が通っているのか、いや、この人は人間じゃない、きっと魔女だ、というわけで母親は魔女認定されてしまいます。王子さまの場合は母親はお妃さまです。お妃さまからあれこれお小言を言われたことを逆恨みしてお妃さまを「悪者の魔女」と言っていますが、王子さまに「魔法」をかけたのはお妃さまではありませんね。王さまが成長目標を示さなかったことから自分に誇りを持つ機会を失い、したがって他人も尊重することができなくなった王子さまが自分で自分に「魔法」をかけてカエルになってしまったのです。
 



 
 短いですが、今回はここまでです。次回は、なぜ王子さまにかけられた魔法は解けたのか、というお話しをしてこの「詩的表現が『わかる』」を終えたいと思います。